しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
Ⅱコリント12:9
何かを始めようとする時、何かを自分に任された時、何か自分が問題と直面した時、どうしますか?
「自分に出来るだろうか?」と頭に不安が過ぎりませんか?
すぐさま、自分の頭は目の前の出来事に、対応するために方法を模索しませんか?
自分が対応できそうかどうか、頭は忙しく色んな考えが駆け巡りませんか?
何とか対応出来そうなら、安心しますが、どう考えても自分には出来ない、役不足だと感じると、一気に不安に襲われます。
私たちの弱さは主が与えられたものです。
私たちが持っている弱さや不足面は、主が計画的に与えられたもの。
わざと私たちに弱さと限界を感じるように創造されたのです。
私たちが自分の能力に限界を感じ、自分ではどうすることも出来ないと感じる事によって私たちは主を思い出すことが出来る存在だからです。
主は、私たちが主を呼び求めるように、主の御力が働かれるように、「弱さ」を私たちにお与えになりました。
考えてみて下さい。
自分にはかなりの能力があってどんな問題に対してもビクともしない能力があれば、自分の人生に神は必要ないですよね。
主が望まれているのは、主とのつながりを絶やさないこと。主にとって不可能は存在しない事。主には限りない資源を持っているという事。
私たちがそれを信じる事が出来れば、
思いもよらない要求に直面しても、心をかき乱され、不安に飲まれる事はないのです。
自分の限界を感じた時は、主を体験出来る時です。
主は必ず顧みて下さる方なのです。