ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。
5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
Ⅰコリント3:4-9
昨日と同じ御言葉です。
成長させて下さるのは主です。主は成長することを望まれています。
しかし反対に、私たちは成長を拒むこともします。 自分を取り巻く変化を恐れ、現状維持に安心を覚える習慣を持っているのです。
どうしてでしょうか?
私たちの頭と心には、あらゆる手を尽くして、変化を拒む厄介な闇が潜んでいるのです。
悪い習慣だと薄々感じながらも、変化しない事を正当化し、他人のせいにし、変化に強い不安を感じてしまうのです。変化に伴って何かを手放さなければならない悲しみを避け、不安を言い訳とし、行動を先延ばしにし、現状維持を固守しようとするのです。
聖書にも記録があります。昔の生活を振り返ったロトの妻(創世記19章)や、主人から頂いた賜物を地に隠した僕(マタイ25:25)など。
受験、就職、結婚、出産、引越しなど・・ あらゆる変化に、将来に対して漠然とした不安を感じるのです。
また現状から変化する際に、習慣、趣味、時間、お金、人間関係など、手放さなければならないことが発生する事もあります。 手放すという決断に悲しみが伴うこともあるのです。
変化し、成長する事は、不安を引き起こしたり悲しみが生じたりすることもあります。
しかしその先に主が新しいものを準備されているのです。
主は現状維持を望まれず、成長・変化を望まれています。
主は良きものを与えて下さいます。私たちが変化や成長に対し、マイナスが思いが頭を過ぎたとしても、不安を感じたとしても、、、
主が成長させてくださると信じ、一歩踏み出す決心をしていましょう!