主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
詩編37:3-6
「自分の道を主にゆだねるましょう」とよく聞きます。
どういった意味でしょうか?
「信じる」「委ねる」「愛する」どこまですればいいのでしょうか?
もちろん、100%が一番良いです。
何かを決める時に、自分の思いだけでなく、「主よ、どうしたらいいでしょうか」と祈る事が「主に委ねる」という事でしょうか?
決定する前に祈ることは、本当に大切だと思います。
しかし、このように、何かを決める時に「主よ、私の選ぶ道を教えて下さい」って祈る時の多くは、「自分が迷っている時」です。自分ではどうしたらいいのか分からないので、主に頼っているのです。決定したことで生じる責任を負って欲しいのです。
日々、自分を心の中をしっかり見つめないと「信じるふり」「委ねるふり」「愛するふり」になってしまいます。
無意識に自分の頭の中で、何を話そうか、何を選ぼうか、これを選んだ場合どうなるか? 今からこれを始めたら、〇頃までには完成する・・・とか頭の中でシミレーションをしませんか?
これって楽しいですよね。明るい未来を思って自分の頭の中でシミレーションを繰り返すのです。
私も良くします・・・
しかし、よく考えて下さい。
頭の中で将来に向けてのシミレーションは、「主を横に置いて」いる状態です。
無意識に自分の力で、自分の将来を何とかしようと想像しているのです。
無意識で主を悲しませている事って沢山あると思います。
凄く神経質になりすぎると、生きる事が窮屈になってしまいます。
しかし、時には自分の行動や思考を思い返してみるのもいいのではないでしょうか?
私たちは「主を信じます」と信仰告白をしましたが、ずっと常に信じる事が出来ていますか?
「昔は、凄く心が満たされていたけれど、今はあまりかな。良く分からない」と言われる方も多いと思います。
昔は昔で、今は今です。「今」が大切です。
昔はすごく熱心な信仰生活だったとよく話される方も多いです。
しかし、最も大切なのは「今この瞬間」です。
今この瞬間、主の目に自分がどの様な状態なのか、、、
主を脇に置いて、自分は未来に身を置いて想像の世界に浸っていないか。
今を十分に生きているか。
考えてみることも良いと思います。