だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイ6:33-34
今、自分にとっての希望は何でしょうか?
昇進かもしれないし、仕事の契約、プロジェクトの成功、子どもの進学、子どもの就職、子どもの結婚、孫に会う事、新しい趣味、資格習得、試験合格、貯蓄が溜まっていくこと、念願の自宅購入、欲しかった車を購入、今いる場所で1番になる事、保有している株が上がる事、病気が治る事、旅行、欲しかった服やカバン・・・
人それぞれ、沢山の希望がありますよね。
希望とは、「こうなればよい、なってほしいと願うことであり、望みどおりになるだろうという良い見通しがある」ことです。
一つの希望が実際に叶い、手に入れば、また次の希望を持ちます。つまり私たちが持つ希望は「一時的な希望」であり「不変的な希望」ではないのです。
もちろん、一時的であっても希望を持って生きる事は重要です。
クリスチャンにとっての希望は何ですか? 私たちには不変的な希望が2つあります。
1つ目は、「神の御国」です。(聖書には「天の御国」とも表現されます。マタイだけがこの表現を用いており、同じ意味です。)
私たちの人生が平坦であっても険しい道のりであっても、私たちのゴールは「神の御国」なのです。私たちは主に与えられた時間をこの地上で豊かに過ごし、しっかりとゴールをしなくてはならないのです。
どんな人生であったとしても、今歩んでいる道が平坦ではなくても、今私たち歩いている道の先には神の御国へと通ずる道なのです。 ゴールを目指して日々歩むのです。
2つ目は、日々、主と歩むと言う事です。毎日、「今日も主と共に1日を歩みます」という事を選択するのです。
私たちは日々、しなければならないことが沢山あります。私たちの日常生活には沢山の誘惑があります。
私たちの思いや常識だと思っていることが、主の御心に沿っているとは限りません。 だから、瞬間瞬間、主に祈りながら一歩つづ歩むのです。 主が準備して下さった道を主と共に、主のペースで日々歩むのです。 主と交わりながら。