私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。
ローマ12:3
ローマ書の著者は、使徒パウロ。
ローマ書の12~15章は、クリスチャンが実際にどのように生きて行くべきか記されています。
パウロは主の恵みによって救われ人生が180度変えられました。
主と深く交われている人物であり、愛されたしもべの一人だと思います。
パウロが、主から頂いた恵みを私たちに分け与える為、伝える為、知って欲しいと思う為
このローマ書に書き記しました。
今日は、3節の始め部分
「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。」が
気になりました。
「私は自分に与えられた恵みによって、あなた方に言います」と言うのが自然な書き方のように
思うのですが、わざわざ「ひとりひとりに」と書かれています。
今から話すことは、当てはまる人もいれば当てはまらない人もいる・・・けれど重要な話。
ではなく、その時代その場にいたすべての人々。聖書を通して目にする人類すべてを対象にして
「ひとりひとりが知って欲しい事です。よく聞いてください」という思いで記したと思います。
そこから続く御言葉は「賜物」について沢山書かれています。
主が与えられた賜物は人それぞれ違います。
しかし私たちは「いやし」「賛美」「メッセージ」などの賜物を持つ人に対して
羨む思いが起きたり、一目置いたりしてしまいがちです。
与えられた賜物に甲乙なしです。
「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。」とあります。
いやしの賜物を貰った人も、その方を通して癒された方、それを見た方、、、
すべて勘違いしてはいけないという事です。
賜物はその人の能力ではなく、主が与えたものに過ぎない。誰も思いあがってはいけない。
「いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、
慎み深い考え方をしなさい。」と続きます。
主は、私の中にある、最悪な部分も最高な部分もご存じです。
それらを全て知りながら私にとって最高の賜物を与えて下さっています。
自分に与えられた賜物は、主が私を適任者だと任せて下さった賜物です。
感謝の心を持ち、自分に出来る最大で、賜物を生かせるように祈っていくべきです。
謙遜な思いを忘れずに・・・