すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。マタイ11:28-30
私は最近
「自分に与えられた時間をちゃんと使えているんだろうか…?」と考えています。
いつ、主に呼ばれ、
この世を去る事になるか分からないのです…。
自分に与えられた時間。
どの様に過ごしているんだろうか。
一日24時間あって、主を思い出す時間はどれぐらいだろう?
24時間あって、デボーションの時間って…僅か…💦
意味もなく習慣的にスマホを眺めたり、
テレビを見たり、動画を見たり…。
信仰以外に時間を使うのってどうなんでしょうか?
主に与えられた時間、
出来るだけ多くの時間を、信仰にプラスになる事に使う…。
これは良い事かもしれません。
でも、信仰以外に時間を使う事に、
主は咎めておられないと思います。
主はアダムに、家族を与えられたという事は、
配偶者に対して愛を育む時間を与えられたという事。
または、配偶者と上手くいかず、ケンカになる時間もあるはず。
共に人生を歩み、一緒に楽しんだり、喜んだり、悩んだり…
という時間も過ごすと分かっておられる。
子どもを育てたり。
色々な人間関係も生じるのです。
またアダムは、地を耕したり、動物の管理もしていました。
これから分かるように、
主だけを崇め、ずっと賛美し祈り礼拝するだけの人生ではないのです。
主が望まれていること…
ずっと共に過ごすこと。
何をするにしても、主と共に過ごすこと。だと思います。
主ありきで、人生を生きること。
映画を見る時も、友達と話す時も、
趣味を楽しむ時も、ご飯を食べる時も、
1人涙する時も、傷付いた時や怒っている時も。
全ての時間を、主と共有する…
主と共に過ごす。
その時の感情、考え、思いの共有。
常に主に語りかける。
主は、私たちの人生に介入したいと思っておられる。
主は、自分抜きの人生を歩んで欲しくない。
主は、自分抜きの時間を過ごして欲しくない。
主の「私のもとに来なさい」というのは、
全てを共にしよう
私たちの人生における全ての問題を共にしよう
と言われているのです。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)