主に与えられた時間の過ごし方【マタイ11:28-30】

2025年

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

マタイ11:28-30

私は最近

「自分に与えられた時間をちゃんと使えているんだろうか…?」と考えています。

いつ、主に呼ばれ、

この世を去る事になるか分からないのです…。

自分に与えられた時間。

どの様に過ごしているんだろうか。

一日24時間あって、主を思い出す時間はどれぐらいだろう?

24時間あって、デボーションの時間って…僅か…💦

意味もなく習慣的にスマホを眺めたり、

テレビを見たり、動画を見たり…。

信仰以外に時間を使うのってどうなんでしょうか?

主に与えられた時間、

出来るだけ多くの時間を、信仰にプラスになる事に使う…。

これは良い事かもしれません。

でも、信仰以外に時間を使う事に、

主は咎めておられないと思います。

主はアダムに、家族を与えられたという事は、

配偶者に対して愛を育む時間を与えられたという事。

または、配偶者と上手くいかず、ケンカになる時間もあるはず。

共に人生を歩み、一緒に楽しんだり、喜んだり、悩んだり…

という時間も過ごすと分かっておられる。

子どもを育てたり。

色々な人間関係も生じるのです。

またアダムは、地を耕したり、動物の管理もしていました。

これから分かるように、

主だけを崇め、ずっと賛美し祈り礼拝するだけの人生ではないのです。

主が望まれていること…

ずっと共に過ごすこと。

何をするにしても、主と共に過ごすこと。だと思います。

主ありきで、人生を生きること。

映画を見る時も、友達と話す時も、

趣味を楽しむ時も、ご飯を食べる時も、

1人涙する時も、傷付いた時や怒っている時も。

全ての時間を、主と共有する…

主と共に過ごす。

その時の感情、考え、思いの共有。

常に主に語りかける。

主は、私たちの人生に介入したいと思っておられる。

主は、自分抜きの人生を歩んで欲しくない。

主は、自分抜きの時間を過ごして欲しくない。

主の「私のもとに来なさい」というのは、

全てを共にしよう

私たちの人生における全ての問題を共にしよう

と言われているのです。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました