こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。コロサイ3:1-2
私の実家に物を取りに行こうと自転車に乗りました。
すると、パンクしていたのです。
時間もなかったので次男の自転車に乗り換えました。
購入してから殆どこの自転車に乗った事はなく、
次男の自転車を探して「あれ?」と思ったのです。
私の記憶にある自転車の姿より、古くなっているのです。
思い出してみると、この自転車を購入したのは5年程前…
所々、錆が付いていました。
5年でこんなに古くなるのか…と思いつつ、実家へ。
私の実家は今、誰も住んでいません。
いつも思うのは「誰も住まないと家は古くなる…」という事。
何もしていないのに、埃が積もるのです。
自転車も実家も、手入れをせず放置していたら、
錆びたり埃が積もったりで古くなったのです。
なるほど…
主は今日、私にこれを教えたかったんだなと思いました。
私たちも何もしないと古くなり、滅びるという事です。
運動しないと身体が固くなったり、血流が悪くなったりするように、
私たちは何もしないと、良くなることはなく悪くなるのです。
何もしないと、
心や霊は成長するでしょうか…
神の似姿へと成長するでしょうか。
私たちは、主を求めて生きないといけないという事。
人は生まれながらに罪人です。
なにもせず放置すれば、
自転車や実家のように、
新しくではなく古くなっていくのです。
埃が積もるように、罪が積もっていくのです。
そしてもっと時間が過ぎれば、機能を果たせなくなるのです。
私たちは何もしないで放置すれば、
本能に従って生きていく事になります。
私たちの本能は、人と比べ自分を人より良い状態になろうとします。
他の人が豊かな暮らしをしていたら、
自分もそのような暮らしをしたいと思うし、
自分も豊かな日々を過ごしたいと思う。
人と比べ、自分は幸せになったり不幸になったりするのです。
そして私たちの本能は、欲に従って自分を見たそうとするのです。
つまり、私たちは主を求めず生きていくと
本能に従う人生…
それは命に向かって歩む人生ではなく、滅びに向かって歩む人生。
だから、イエスさまがこの地に来られたんだ…!
改めてそう思いました。
私たちが主を知らずに生きていくと
滅びの道を歩むことになるとご存知だから。
主がこの地に来られた。
…私たちには本能だけでなく良心もあります。
しかし、良心は人によって違い、良心が100%正しいとは言えないのです。
聖書を読めば、
私たちの価値観や基準と主の価値観や基準に、大きな違いが沢山あります。
主は「隣人を愛しなさい」
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われます。
私たちはどうでしょうか。
隣人はまだ愛せても、敵は愛する対象ではありません。
敵は憎むものであり、多少寛容になれたとしても
愛したり、またはとりなしの祈りをする対象ではありません。
聖書は「七度を七十倍するまで赦しなさい」と言っています。
私たちは、一度や二度なら赦せたとしても、
相手が過ちを繰り返すなら許す対象とはならないし、
赦す事は相手の為にもならないと考えるかも…
「仕える者が一番偉い」(マタイ 23:11)
「義のために迫害される者は幸いです」(マタイ 5:10)
「自分の持ち物を捨てて従いなさい」(ルカ 18:22)
「復讐は私のすることである」(ローマ 12:19)
…このように主の基準と私たちの基準が、全く違う正反対な事柄は沢山あります。
私たちは、主の基準を学んで生きていくべき。
だから、今日も主の基準、主の価値観を学ぶべき。
だから…毎日… 聖書を読もう…‼
本能と本質は違います。⇩
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)