心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言3:5-6
知り合いの男性が、私にこんな質問をしました。
「再婚しようと思うんだけど… これって罪にならない?」と。
こう聞かれた時に、ドキッとしました。
このAさんが、聞きたいと思っている答え。
私にどう答えて欲しいと思っているのか
分かるからです。
Aさんの心の中に、引っ掛かりがあり、
その引っ掛かりを、私に外してほしいと願っているのです。
私が「大丈夫だよ!」と言えば、
Aさんの心の引っ掛かりは取り去られ、
自分の願う通り、前を向いて歩めるのです。
新しい人生を歩むのに、
後ろめたさや不安などを書き捨て、後押しが欲しいのです。
自分が今していること、しようとする事において
「正当性」が欲しいのです。
安心が欲しいのです。
…そう思ったら、私もAさんと同じです。
「これは大丈夫だろうか?」
「私はこれを選んで良いのだろうか?」
「これって罪にならないんだろうか?」
「主は私を見てどう思われているんだろうか…?」
そのように、何となく心に引っ掛かりを覚える時があります。
誰かに「大丈夫だよ」と言ってもらいたい。
安心したい… 平安が欲しい…
でもよくよく考えたら、
誰かに「大丈夫だよ」と言われたからと言って、
それが100%大丈夫だという保証にはならない…
「大丈夫だろうか…」という心配がある時点で、
大丈夫じゃない可能性が高いように思うのです。
私たちはいつも自分の「正当性」を持とうとします。
〇〇だから大丈夫。
だって〇〇だから、仕方がない。
流石にこれは主も良しとされるだろう…
自分の中に正当性を持とうとすること自体…
正当ではない可能性が高いように思います。
もし私がAさんに「大丈夫!」といったら、
Aさんは不安から解放され、前進するかもしれません。
しかし、神でない私の「大丈夫(罪にならない)」という言葉は、
何の保証にもならず、
万一、再婚生活の中で問題が生じたら、
また以前と同じように「この再婚は主が赦されていたんだろうか?」という
思いが生じるのです。
正当でない正当性は、本当の安心にはならない…
私たちの本当の平安、本当の安心は
主から来るもの。
主からのみ与えられるもの。
しかし、簡単に人から得ようとしたり、
自分の思考や論理に頼ってしまっているかも…
自分は大丈夫だと正当化してしまう習慣。
自分を正当化しようとする時、
立ち止まり、主を見上げるようになりたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)