しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
黙示録2:4
働いている病院の看護師さんで、
最近、彼氏ができたAさんがいらっしゃいます。
お相手が同じ病院関係の方。
だから、同僚には秘密だそうです。
以前から色々と話をしてくれていたので、
絶対に秘密にして下さい…と報告してくれたのです。
そして、Aさんと一緒の夜勤になると
「今日の仕事頑張りましょう‼ 聞いて欲しい話があります…」と言われます。
話を聞くと、凄く幸せそう…(笑)
Aさんも彼氏さんも、互いに相手に
色々なことをしてあげたいという思いが伝わってきます。
相手が「こうして欲しい」と言った訳ではなく
まず自分が「こうした方が喜ぶかも!」と言う思いが溢れているのです。
微笑ましい姿…
そんな姿を見ながら「私も夫と恋愛をしていた時、同じ思いだったはず…(笑)」と思ったのです。
いつから、そのような相手を配慮したり、
思いやる心が薄れて来たんだろう…
「〇〇して!」と言われると「え…💦 今忙しい…」
少々腹を立てながら「いつまで??」と言ったりしています。
今日も、夫と一緒にトラクトを配っていたのですが、
夫は何かとスローなのです。
その姿を見ながら、完璧に私の方が何倍ものトラクトを配っているのです。
その時の私の思いは…
どこか私は「損」をしているように感じたのです。
そんな思いを感じ…
「これは損なのか?」と自問自答。
いつから「損得」で考えるようになったんだろう…
多分、付き合っていた頃は、
なんてマイペースな人なんだ(笑)と
クスっと笑える位、私の目には可愛く映っていたのではないか?
いつからだろう…
だからと言って、夫が嫌いな訳ではない…
夫がいない人生は考えたくない…
あれ?と思ったのです。
主に対しても同じになっていないだろうか??
主に出会った時、
心の底から満たされて、主さえいればもういい…
私は主さえ、共に居て下さったら何もいらない…
主の喜ばれる人生を生きたい!
いつも主を意識して生きたい!
賛美をする時間が祝福を感じる時間…
しかし今はどうだろう…?
いつも朝、聖書を読んでデボーションをするのですが、
時折「寝坊‼ 今日は聖書読めない💦」と
いとも簡単にあきらめる日があるのです。
もしも、これが恋愛だったら…
忙しくても少しでも、相手の声を聞きたい…と思ったり
次の日が辛くなると分かっていながらも
さほど内容のない長電話をしたり。
共に時間を共有することが喜びであったはず。
いつから私の信仰は、始めの思いから変化してしまったんだろう。
もっともっと、
私の主に対する思いは「自発的」だったはず。
今は何となく「能動的」
「主よ。愛します。」と告白しながらも
「あ…あれ欲しいな…」
「こうなったらいいな…」と言う思いが多くなっている。
私たちは「有限」ではない存在。
想像力も有限でなければ、記憶力も判断力も、生命力も。
限界があるのです。
だから、ずっとずっと同じ感情を持ち続けるのが難しいのかもしれません。
しかし、主は「有限」です。
限界がない。
変わることなく同じ思いを持ち続ける事が可能なのです。
…つまり、私たちの愛は、変化してしまうのです。
そして、
私たちは「主よ。愛します」と告白しながらも、
主に喜んでもらおうという思いより、
受けようとする思いが大きくなっていくのです。
助けてもらおう。
与えてもらおう。
癒してもらおう。
そして、それらが与えられないと、
主に落胆してしまうのです。
主は本当に存在するんだろうか…とまで心が変わるのです。
与えてもらう事によって、
主が共にいると勘違いしてしまうのです。
これは、本当に「愛している」と言えるのだろうか…
人間同士、
相手が自分に何かをしてくれ、
希望を満たしてくれることによって愛を感じるのであれば、
それは本当の愛ではない…
私たちの主への愛は、その様に変わりつつあるのかもしれません。
「主よ。愛します」と告白しながらも、
受けようとばかりする自分。
苦難を避けようとする自分。
自分は安全な所に身を置き、犠牲を避けようとする。
…本当の愛は、主が進まれる道を共にすること…
私が…本当に主を愛することが出来ますように…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)