祈り方を変えようと思います‼【ルカ19:2-3】

2024年

ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群集のために見ることができなかった。

ルカ19:2-3

自分についてどう思いますか?

…自分をどう思うかと考える時、

自然と人と比べてしまうと思います。

私は今、次男の学校の改革について

学校側と話し合う時…

学校の管理職や学校の顧問弁護士たちと話す時、

目の前の人から、知識と言葉に圧力を感じるのです。

その度に「私は、どうしてもっと勉強しなかったんだろう…?

学生の時に、弁護士さんになるなんて考える事さえしなかったけれど、

今、自分が将来を考える年齢だったら、

弁護士になりたい…‼」と思うのです。

これは完全に、力でねじ伏せようとしている相手に、

こちらも力をもって戦かいたい!と言った思いなのです。

それを分かりながらも、自分の力量のなさに悔しく思うのです。

そんな事を考えながら…

私の頭の中に、木に登っているザアカイを思い出したのです。

「ザアカイか…

彼は、人に嫌われていたかもしれないけれど、

知識も権力も財力もあったよな~」と思ったのです。

そして「え‼」と思ったのです。

ザアカイが主に会えたのは、彼が木に登ったから。

どうして木に登ったのかというと

「背が低かった」と記録されています。

多分…彼の中で、自分の背の低さと言うのは、

財力や権力とは違い、コンプレックスだったのではないか?

「あ~もっと背が高かったらどれ程良かっただろうか?」と

何度も思ったのではないか?と想像したのです。

そう思うと、主はザアカイの強い面(権力財力など)を通してではなく、

弱い面、隠したい面を通して主が働かれたのです‼

「えぇぇぇ…‼」と思うと同時に、

モーセも、エジプトの王女の養子として

権力財力に満たされた時ではなく、

全てを失い、人に追われる身分となり、

40年間も荒野で羊飼いとして過ごし、年も80歳になり…

自分の人生はこのまま終わりを迎えるのではないか?と考えたと思うのです。

そのように、何も持つものがなくなった時、

主が語られ、モーセは遣わされたのです‼

「わー! モーセも! 凄い‼」と思った時、

ナアマン将軍を思い出しました…!

ナアマン将軍は王に重んじられていた存在。

彼も名誉も信頼も地位もある人物。

彼も、豊かな部分を通してではなく、ツァラアトと呼ばれる

不治の病と言われた病気を通して、主が働かれたのです。

周りの人に重んじられてきた彼にとって、

エリシャの対応は受け入れがたいもの。

そのように「あしらわれる存在」ではなかったのです。

そして、部下の前で肌を見せるという行為を選択したのです。

地位も名誉も権力もある人が、

病によって低くなられました。

もともと、良い人だったようですが、

一層、低くされ、弱い所に主が働かれたのです。

そう思うと「ふふふ…♫」と笑いが出てきました。

どちらかと言えば、

今までは「自分の弱さを強めて下さい」と言う祈り。

祈り方を変えよう‼

「神さま。私にはこのような弱さがあります。

私の弱い所に主が働いて下さい‼」

…そう思ったら、

今まで意識はしていなかったけれど

「弱い所を強めて欲しい…」と言う祈りは

どこかで「強くなって自分で何とかしよう」という

潜在意識があったかもしれません。

私は、自分の弱い所を認め、より一層、低くなるべき…

自分に弱い所があるという事は、

主が働いて下さる部分を持っていると言えるかもしれない!

わーーーー感謝‼

自分の弱さ、バンザイ!と思いました。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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