我が魂よ。主を褒めたたえよ!【詩篇103:1-5】

2024年

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

詩篇103:1-5

昨日、次男は学校で毎年1月にするマラソン大会でした。

次男は運動があまり得意ではないのですが、マラソンは少し得意なのです。

中学はバスケ部にいたのですが、高校は帰宅部。

全然運動をしていませんでした。

そして今年は授業の関係で、マラソン大会前に体育の授業が1回しかなく、

マラソンの練習を1回だけし、次の日は全身筋肉痛になっていました。

当日になり、筋肉痛は治ったものの明らかに練習不足。運動不足で臨みました。

毎年ある小学校からのマラソン大会。

ずっと順位を競っている友達がいます。

その友達に感化され、負けじと最後まで走ったそうです。

途中で疲れ歩きたくなるごとに

「〇〇!(自分の名前)頑張れ! 負けるな! 諦めるな!」と心の中で自分で自分を鼓舞したそうです。

結果、最後まで頑張れ、なかなか良い順位でゴール出来たそうです。

昨夜、この話を聞いてから、今朝聖書を読みました。

ダビデが書いたとされる詩篇103篇でした。

ダビデがいつ書いたのかは分からないようで、一般的には「ダビデの生涯全般にわたっての詩」と言われているようです。

ダビデの生涯…

ダビデは多くの祝福もありましたが、苦しい事も多くありました。

義理の父親でもあるサウル王に嫉妬され、命を狙われ続けました。

また自分の息子に王位を奪われるという事もありました。

ダビデは不平不満をこぼす事が容易い事だったと思います。

しかし、ダビデの賛歌は「感謝」が書かれています。

ダビデって凄いな~。高慢になることなく謙遜にサウルに仕えていたにも関わらず、

嫉妬され命を狙われ続けても、感謝出来るなんて!と思っていました。

しかし今朝、この詩編103篇を読んで、気付いた事があります。

ダビデは、「我が魂よ。主を褒めたたえよ」と言っています!

ダビデは辛い人生であっても、自然と主を見上げ、

自然と感謝出来る人ではなかったのかも…!

「我が魂よ」と言っています。

自分の魂に鼓舞しているのです。

感謝で満ちている時であれば、「我が魂よ。主を褒めたたえよ」と言わないと思います。

「主よ!感謝します!!主を褒めたたえます!!」だと思います。

次男が自分を鼓舞し、自分に諦めたらダメだ!と言い聞かせ、自分の苦しさを理由に諦めるという選択をせず、走り続けるという選択を自らするように…

ダビデも自分を奮い立たせ…

自分に向かって「我が魂よ!!」と語りかけ、

「(このような時でも)主よ褒めたたえよ!」

「主がして下さったことを忘れるな!」

感謝をすること、賛美をすることは、強い意志が必要な選択です。

自分が感じる感情に従って生きることは、楽かもしれません。

流されるがままに、感じるがままに、文句を言い、人のせいに、神のせいにして…

しかし、それらの行く着く先は「不信仰」です。

苦労の意味を悟ることなく、苦労だけをするのです。

しかし、ダビデのように自分が感じる感情、自分の目に写る現実、自分の置かれた場所などに

流されず、主を信頼し見上げるということを選択する者は、

時がくれば、苦労の意味、主の計画、主の愛まで、知ることが出来るのです。

流されず、ダビデのように苦しい時こそ、

「我が魂よ!!」と自分を奮い立たせたせる事を選択したいです!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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