初めに、神が天と地を創造した。
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光あれ。」すると光があった。
神は光を見て良しとされた。神は光とやみを区別された。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。創世記1:1-5
先日、創世記を読んでふと疑問を感じました。
新共同訳では「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり…」
口語訳では「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり…」
茫漠、混沌…何もなく、闇だったのです。
何もなく真っ暗な中に、
主はまず、光を造られたのです。
そして、光と闇を区別されたと記録されています。
…どうして闇を残されたんだろう?
どうして全てを光にしなかったんだろう…
光は昼であり、闇は夜…を造られたのです。
という事は、
空や太陽、山や地、海、動物など
空間や生き物よりまず、昼と夜を造られたのです。
つまり、空間や生き物より「時間」の流れを
一番始めに創造されたのです。
これには意味があるんだろうか…と考え
私なりの考えですが、
昼になる為には、夜の時間を過ごさないと昼にはならない…
昼を過ごさないと、夜はやって来ない。
明るみに出る為には、暗闇を通らないといけない。
ずっと、明るみに留まりたいと思っても、
暗闇はやってくるのです。
そして反対に、
永遠に続くように感じる暗闇も、
いつかは去るという事ではないか。
時間と言う「過程」があるという事。
3日目に造られた植物も…過程があるもの。
ずっと実を結ぶものを創造されたのではなく、
地を耕す時があり、種を蒔く時があり、
水をあげ成長する時がある。
そして実を結ぶ。
実を結ぶまで、過程があるのです。
1年中、実を結び続ける植物が存在するのか分かりませんが、
多分殆どの植物は、過程を踏んで実を結ぶのです。
時には雨が降らず、枯れそうになったり、
虫に襲われそうになったり…
人生にも、色々な事が起こる…
でも、ずっと同じ状態ではない…と感じました。
闇は明るみに出る過程。
今日はその様に語られたように思いました。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)