主と私との距離を遠ざけるもの【イザヤ55:6】

2024年

主を求めよ。お会いできる間に、近くおられるうちに、呼び求めよ。

イザヤ55:6

昨日、仕事に行きました。

すると何人かの看護師さんに

「LBさん(私のこと)Aさんが入院されていてますよ~」と教えてくれました。

何度も入退院を繰り返しているAさん。

そして、入院されると私に会いたがってくれます。

毎回、Aさんは体調が崩れても直ぐに病院には来ず、

ギリギリまで耐えて、息子さんが救急車を呼んで運ばれてきます。

経済的な問題で入院を避けているのではなさそう…

「どうしていつもギリギリまで耐えるの?」

「体調に異変を感じたら、早く来た方がいいよ」

「耐えても、結局は自分でどうする事もできないでしょ」

「我慢すれば、それだけ回復に時間かかるでしょ」

と話すのですが、

毎回、頑張られるのです。

そして長く入院生活を送る事になるのです💦

私たちって、頑張ってしまいます。

その姿は、信仰の中でもあります。

問題が生じ、悪戦苦闘するのです。

自分の頭で解決方法を色々と考えるのです。

そして色々な人に相談するのです。

そしてどうしようもなくなると…

「もう祈るしかない…」と思うのです。

このAさんのように、ギリギリまで自分で耐えようとするのです。

しかし、結局は耐えれない。

耐えた所で、自分への身体が一層復活するのに時間がかかる…

Aさんの姿を見て1つ思い出しました。

うちの長男次男が小学生の時、

宿題の問題が分からなくて、

親には聞かず、自分で頑張ろうとする…

悩んで、イライラしながら取り組み。

結局、そのまま提出し、やり直しとなる…

その結果に、一層イライラする…という事がありました。

助けを求めたら良いのに…

私たちには、自分で何とかしようとする

習性の様なものがあるのでしょうか。

私たちは、

小学生が、助けを求めずに、1人で宿題に向き合いイライラするのを見たら、

「聞けば良いのに…」と思います。

大人は解決方法を知っているのです。

主も、私たちを見てそう思われているかもしれません…

「私に聞けば良いのに…」

「私は全てを知っているのに…」

「私に解けない問題はないのに…」

…私は、主は目に見る事が出来ず、言葉を耳で聞くことが出来ないから、

自分の問題を主に祈り求めると言う事が、最後になると思っていました。

でも、もしかしたら、

理由はそれだけではなく、

本能的に「自分で何とかしたい!」という思いがあるんだと思いました。

「自分で解決したい!」

「自分で出来る!」

これは、私たちの中にある「高慢」な部分だと思います。

自分の中の高慢が、主を遠ざけている様に感じました。

主と距離が近い人と、主と距離が遠い人の違いは、

自分の中にある「高慢」の差かもしれません…

心底「自分では何一つ出来ない…」と痛感していれば、

直ぐに主に依り頼めると思うのです。

私に必要なもの… へりくだり…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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