わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
エレミヤ33:3
昨日のブログで「手を挙げて賛美をする」という事について書きました。
その後、何か悶々としていました。
私は主に触れたい。触れられたい。近くに居たい…
という思いが、自然と天に向かって手があがるのです。
心理学者ウイリアム・ジェイムズという人の言葉で…
心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
という言葉があります。
凄く良い言葉だと思うし、
忘れずに記憶しておきたい言葉だと思っています。
…主に満たされたいと言う思いがあるから、
手をあげて賛美をするという行動になるのです。
そして、それが習慣化され、
その賛美は、キリスト者へと成長していく1つの要素となる。
そして主を知らない時には考えられない、
「主の弟子として歩みたい」という思いが起こるのです。
簡単に言えば、
主を求め手をあげ賛美をするという事は、
信仰が成長する1つの要素だと思うのです。
(もちろん、賛美だけが信仰を成長させるものではないですが)
何が悶々としたかというと、
まず「心が変われば行動が変わる」という点です。
まず、心が変わらなければ始まらない…?
辛すぎて、賛美できない時もあります。
また、通っている教会が、手をあげて賛美をする習慣がないかもしれません。
そもそも、人によっては、そこまで信仰を求めていない可能性もあります。
天国さえ行ければ…
罪さえ許されれば…と思っている人がいるかもしれません。
まず、始めに必要な「心」
これがない場合…どうすれば良いのだろう…
…随分前の話ですが。
私の2人の子どもが小さい時、私たち夫婦は「里親」をしていました。
里親とは、実の親はいてるけれど(大抵母親のみ)
自分で育てられず、かと言って「養子」には出さず
実親が親権は持ったまま、
里親に養育を依頼している状態です。
長く、我が家で過ごしたのは、AくんとBくんです。
2人とも我が家にいた時期は違いますが、我が家で3年半過ごしました。
初めての里子のAくんは、生まれてすぐ病院から我が家に来ました。
数年後に来たBくんは、幼児施設で育ち、2歳~5歳半までいました。
私の感想ですが、2人とも小さな幼児ですが…
何とも表現しにくい「怒り」の様なものを持っていました。
多分… 実親に対しての怒りです。
Aくんはその怒りを、内に向けて発します。
自傷行為です。頭をテーブルや床などに、
驚く程、力いっぱいぶつけるのです。何度も。
Bくんは、怒りを外に向けて発します。
暴言を吐いたり、叩いたり噛んだり、壊したり。
そして夫に対しては、素直な可愛く愛らしい表情と態度でいるのですが、
夫が家に居なく私と2人になると、
驚くほど怒りに満ちた表情に変わり、暴れるのです。
すっごく体も小さいのに「怖さ」を感じることもありました。
この子どもたち。
特にBくんの夫がいる時といない時の差が激しく、
夫が家にいてても、Bくんは夫に背を向け、
私に怒りの表情を見せたり、
叩こうとする素振りをするのです。
こんなに小さいのに、どうしてこのような術を知っているんだろう…と不思議でした。
当時は、何年、我が家にいる事になるのかは分からなかったのですが、
愛して育ててあげたい…と思って里親になったのです。
Aくんはまだしも…Bくんを愛するのは難しい…
正直に言うと、幼い子ども相手に…
「憎たらしい…」と感じる事が多かったのです。
その時に、どこかでこのような感じの言葉を読んだのです。
「意思から行動が生まれるのではなく、
行動から意思が生まれる」
″しよう!” と思って行動できるのではなく、
行動している内に ″しよう!” と思える…
と解釈したのです。
それから、私はBくんに
「Bくん、大好きだよ」
「オンマ(韓国語でママ)は、Bくんの事、大切に思ってるよ」
「ずっとこの家に居て良いからね」
「Bくんのオンマになれて嬉しい」
「Bくん、本当に可愛いね」
「アッパ(パパ)もオンマも、お兄ちゃんたちも、B君が大好きだよ」
など、考えられるだけの肯定的な言葉をかけたのです。
しかし、心からの言葉ではないです。(残念ながら)
ずっとずっと、毎日何度も伝えるのです。
本当に、自分でも不思議だな~と思ったのですが、
自分の心が変わって来るのです‼
始めは、心が伴なわない愛情表現…
しかし数ヶ月もすれば、
本当に可愛く感じるようになるのです。
愛らしく見えるようになるのです。
行動が心を変える事が出来るのです‼
何を言いたいかと言えば、
辛すぎで、賛美をしたくない時…
手をあげて賛美なんて…
そこまでの信仰必要か?
天国さえ行ければ、それでいいと思っていても…
行動してみてください‼
手をあげて賛美をしてみてください‼
教会でするのが恥ずかしいのであれば、
自宅のトイレの中でも良いですし、
お風呂の中でも、車の中でも…
手を思いっきり上げて、賛美をするのです…
信仰が変わります…
主への感謝に満たされます。
主の愛を感じる事が出来ます。
「主よ。感謝します」なんて言えない状況の時、
「主よ。感謝します」と言ってみてください。
今日の御言葉…
わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
主を呼べば…私が知らない、
私が経験した事がない、
私の理解を越えた大いなる事を、主がされるのです。
是非是非…
心の準備が伴なわなくても、
手をあげ賛美をしてみてください‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)