主を求めよ。お会いできる間に、近くおられるうちに、呼び求めよ。
イザヤ55:6
昨日はGW最終日。私は仕事でした。
年末年始やGWなどの連休は、患者さんの数がグッと減ります。
緊急性がない場合、自宅に戻ったり、施設に帰ったりします。
いつもに比べて落ち着いた病棟。
偶然、別病棟で夜勤をしている同僚と休憩時間で一緒になりました。
普段から同僚たちは、時々口にする話題があります。
「病院で働くようになって、自分の最期はどのような姿なのか気になる」という話です。
せん妄や痴呆にかかった人と話す事が多いからです。
そして昨日は仕事が落ち着いていたからか、
同僚が自分の話を始めました。
5年程前にご主人を病気で亡くされたという話。
平均寿命で考えたら、随分早くに亡くなられたので、ビックリしました。
そしてご主人の晩年は、薬の影響でせん妄だったので、大変だったという話。
そしてこんな話をされました。
ご主人は生前、歌が凄く好きで、若い頃、歌手を目指していた時期もあったようです。
せん妄になって、会話が余り成りたたず、急に興奮したり、同じ話を何度もしたり、判断力も落ち、反応も鈍くなったそうです。
しかし、昔から良く歌っていた歌の曲をかけると、
人が変わったかのように、
病気をする前の元気な姿で、力強く歌われたそうです。
全く、せん妄だと感じさせない位に。
しかし、殆どの場合、少し時間が経つと、自分が歌った事さえ覚えていません。
でも、以前の元気だった姿を一瞬でも見れ、幸せを感じたと話していました。
昨日のブログにも同じような事を書きましたが、
やっぱり、自分の中に何があるか…が大切なんだと思います。
自分の中を何で一杯にするか。
自分の身体に何を浸み込ませるか。
病院では、
自分が今、病院で入院中だと分かっていない方たち。
今まで見た人たちの姿は…
「わーこの方、良い年の重ね方だな…」と感じた事は、残念ながらあまりありません。
夜中に、病院のパジャマのままベッドを離れ、どこかに行こうとするので
どこに行くのかと、声をかけると、
「ちょっと飲みに行ってくる!」と答えたり。
「ちょっと暇だからパチンコでも行って来る」と答えられたり。(本気でそう思っているのです)
ずっとスマホを探し、(多分、理解できてないだろうけれど)色々な事を検索したりしようとする。
かなりの高齢で、お仕事を引退されていても「重要な会議がある。ワシがいないとダメな会議」だと言われどこかに行こうとする。
自分で思うように動けない方たちも。
不満や自分の人生の不運を終わりなく話をされます。
何度も何度も…。
そんな姿を見ながら、
多くの人が、自分の人生に満足はおろか、
悲しみと苦しみを思いを持って生きているんだろう…
そんな思いを心に一杯詰め、この世を去るなんて…
悲しすぎます。
「死」は「絶望」や「虚しさ」なのです。
せん妄でない方も、
「自分の人生はなんだったんだろう」と口にされる方も多いです。
…もし私が、癌の特効薬を知っていたら、
1人でも多くの人に、積極的に伝えると思います。
良く知らない人であっても、声をかけ伝えます。
どうすれば、信頼性のある伝え方を出来るだろうか。
どうすれば、より多くの人に伝えれる事が出来るだろうか。
沢山、考え、伝える事に時間を使い努力すると思います。
なぜなら、絶対に治す事が出来る特効薬だからです。
主だけが、私たちの罪を赦せる唯一の方です。
また私たちは死後に審判があるのです。
主を信じる者は、永遠の命を得て、神の御国で住むのです。
これは絶対なる事実でありながら、
どうして私は、「どうすれば福音が広がるだろう」と思い悩まないのだろうか。
主を知らずにこの世を去る人々に、どうしてもっと必死に主を伝えないのだろうか。
自分の信仰の在り方、
自分の中にどれ程、主を置いて生きているだろう…
私はこのまま、何となく信仰を持っていてはいけない…
チャンスは今しかないのです。
信仰を持つ事も。
伝える事も…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)