魂の安らぎは今から準備しておくもの【詩篇146:1-2】

2024年

ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。
私の生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。

詩篇146:1-2

病院の患者さんで凄く体の大きい男性が居られます。

背も高く体も大きい…

多分80キロぐらいはありそう。

凄く反応が遅く、話しかけても返事がない事も多く、

また返事をしたとしても、返答に凄く間が空くのです。

またその返答は、少し的が外れている…

韓国語の四字熟語で言えば「東問西答」。

「的はずれの答え」という意味です。

焦点も合っていません。

一日に何度もこのAさんの病室に入ります。

オムツを変えるという事もありますが、

身体の位置を変えないと床ずれを起こしてしまうからです。

凄く…重たく腰に負担がかかります…

1人では到底無理なのです。

身体を動かす事に、少しも自力で動くという事ができません…

100%私たちの力で、身体を動かさないといけないのです。

こんなにも反応が薄いAさんなのですが、

時々、病棟に響き渡る程の大声を出されます。

「すみません!!!」「誰かーーー!!!」と。

何度も何度も呼ばれます。

「はーい!」と言って「どうしたの?」と聞いても

答えられません。

「どこか痛い?」「向きを変えたい?」と聞いても

かなり間が空き「…ちがう!」と言います。

そしてまた直ぐに大声で呼ばれるのです。

何か言いたいんだろうけれど、それが何か分からない。

多分、Aさんは何かを伝えたいのですが、自分でそれを表現する事ができないし、

もしかしたら単語が思い浮かばないのかもしれない。

時間をかけて「これ?」「あれ?」「もしかしてこう?」と色々とゆっくり質問するのですが、

当てる事が出来ていませんでした。

でも多分、何も分かっていないように思えたのです。

家族の事を聞いても分かっておらず、どんな仕事をしたのか聞いても分からず。

唯一答えれるのは自分の名前。

「Aさん!奥さんがドリンク持って来てくれたよ!」と言っても

全く分かっていない様子。

ご家族の希望で、ずっとテレビを付けていますが、

本人は見る事もなく、音として付けている感じ…

という事は、暑いとか、寒い、痛い、暇、お腹が減った、歩きたい(歩けないけど)ぐらいしか思いつかないのです。

しかしAさんは、一日に何度か、大声で叫んで呼ばれるのです。

何を伝えたいんだろう…と思っていて、

最近やっと分かったのです。

ある時、何も話さないAさんの口からヨダレが垂れました。

ヨダレをティッシュで拭き、

Aさんの近くにあった黒いタオルハンカチを、首元にヨダレかけのように置いたのです。

すると、Aさんがそれを自分で手に取り、顔にかけたのです。

私は、ん?自分で動いた…?

時々動かれるのですが、Aさんにしては行動が早く感じました。

それ以降、Aさんが叫ばれると「黒のタオル?」と聞くと「どこですか――!!!」と叫んで答えられるようになりました。

大の大人のAさんが、小さい子どものようにタオルを探し、自分の顔付近にタオルを置くのです。

子どもの時からずっと好きだったタオルではなさそうですが、

心が落ち着くのだと思います。

人の目には、Aさんは何も分かっていません。

自分の名前は反射的に答えれるようですが、

それ以外、両親や兄弟、今の家庭について答える事が出来ないのです。

ですから、自分が今病気で入院中だという事も理解出来ていません。

それでも何か思い出のある、この小さなタオルが心を落ち着かせるものとなっているのです。

…以前、だいぶ前にブログに書いた事があるのですが、

母が生前の時、近所で1人で住む痴呆にかかったおばあさんの家に通っていました。。

母は定期的に食事を持って行ったり、

また行く度に、母はそのおばあさんと家庭礼拝をしていたのです。

この方、元気な時は教会に通われていたようですが、

年老いて自分で行く事が難しくなり…教会と距離が空いていたのです。

そしてある日、母親が私に一緒に行こう!と誘い、

何度か一緒に行きました。

30分位滞在している間に、何度となくそのおばあさんは母親に

「ところで、どなた様でしたっけ?」と聞かれます。

そして母親が名前を伝えると

「わー来てくれたの?」と質問する度に喜ばれていました。

その姿を見て、20代の私は「痴呆って大変…」と思っていたのですが、

母親が「礼拝しようね!」と賛美を始めると、

おばあさんは、人が変わったかのように、

目つきがしっかりし、さっきまでとは違う人のような姿で、

讃美歌集を見ずに賛美を歌うのです。

そして賛美が終わると「主よ・・感謝します・・」と言われたのです。

そして母親が短くメッセージを伝えると、

いつものおばあちゃんに戻るのです。

その姿がとても印象的でした。

覚えているのです‼

年をとり、記憶力が低下しても…

魂が覚えているんだ…と感じた瞬間でした。

Aさんも、沢山の事を忘れているのですが、

魂は安らぎを求めているのです。

私が年老いた時、痴呆にかかったら…

何を覚えているんだろう…

何に安らぎを求めているんだろう…

人生の晩年、取り繕う事はできません…

自分の全てが出るのです。

人間は生きていたように死んでいくのです。

もしAさんのような状態になった時、

理解力が低下しているのに、スマホを探し、

YouTubeを見ようとしていたら…嫌だな…(笑)

「賛美を流して!」「聖書を流して!」

「教会に通ってみて!」と言える

晩年を迎えたい…

人生の最期に「主よ。感謝します」という言葉を発する事が出来るように、

今を生きて行きたいです。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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