主を呼び求めるすべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。
また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。詩篇145:18-19
大きな問題に見舞われて、
やっとのことで問題が過ぎ去り、
心身は疲れ果て、これで一安心…と思っていたら、
また問題がやってくる。トラブルが起こる。
同じところをグルグルと回ってるように感じませんか?
この問題さえ解決すれば、楽になると思っていたのに…
このような思いを経験している人は多いのではないでしょうか。
私はクリスチャンになる前、
どうして自分の人生は同じところをグルグルと回って…
自分の人生に意味はあるんだろうか…と生きる事に苦しさを感じていました。
聖書を見てその答えを得ることが出来ました。
出エジプトの話です。
イスラエルの民はエジプトから奴隷生活の解放を得て、約束された地、カナンへと向かいました。
430年間の奴隷生活に終止符を打てたのです。
自由を手に入れて、自分のしたい仕事をする事ができ、人に指図されたり、罵倒されたり、理不尽に打たれたりしないのです。
それだけでも、夢の様な事が起きたのです。
民たちはどれ程、期待を持って旅立った事でしょう。
しかし、直ぐにエジプトの王が心変わりし、民の後を追いかけてきました。
目の前は海。背後からはエジプトの兵。
万事休す。四面楚歌です。
主の守りにより、海が割れ民は無事に海を渡る事が出来ました。
そしてエジプトの兵は海の中に…
もう、エジプト兵に追われる心配から解放されたのです。
しかし、カナンの地へ入れたのではなく、
旅の困難はそれで終わらなかったのです。
問題は次から次へと起こりました。
食べ物も飲み水もなかったのです。
皆がお腹を空かし、生きる気力を失い、判断力まで奪いました。
カナンの地を目の前にしてもヨルダン川が目の前にあり、渡らないと約束の地には入れないのです。
やっとの思いで渡っても、目の前には見たこともない程、大きなエリコの城壁。
目の前に立ちはだかる城壁。
どのような方法を持ってもそれを超える事は不可能だと感じたのです。
民は、今まで頼りにしていたリーダーを途中で亡くすのです。
…私たちの人生と似ていないでしょうか。
今回ばかりは、解決の方法がない…と、
エジプトの民のように、何度思った事があるでしょうか。
前にも後ろにも、どちらにも進めない、追い詰められた状態になる事があります。
目の前に不可能だと諦めるしか方法がないような、問題が立ちはだかる事があります。
どうしてこのような問題が、次から次へとやってくるのでしょうか。
イスラエルの民を見たら分かります。
自分で解決できない「限界」を、自分が知るためです。
何度も何度も…
私たちは愚かな所があり、
モーセが海を割り、目の前で驚くような奇跡を体験しても
直ぐに忘れるのです。
喉元過ぎれば熱さを忘れる…そのような者なのです。
だから、主は何度も何度も「あなたたちの限界を知りなさい」と言われているんだと思います。
自分の限界を知り、自分の弱さを本当に分かってこそ、
主の強さを理解出来るのです。
主は、私たちに対しても同じです。
目の前のどうする事もできない問題を通して、
「自分の限界を知りなさい。そして私の力を知りなさい」と言われているんだと思います。
「私の方に来なさい」と招いておられるのです。
「私があなたの問題を解決してあげよう。私を信じなさい」と。
しかし、気を付けないといけない事があります。
人は、目の前の問題を見て、色々な事を言うのです。
エジプトの民は、
「私たちはエジプトにいた方が良かった」
「私たちはいなごのような存在だ」
全会衆は大声をあげて泣き叫び「エジプトで死んだ方がマシだ」
自分が率いる民は泣いて「肉が食べたい」というのです…
与えられた土地に対して「自分はそこに行きたくない」と言う民もいました。
このような「まやかしの声」に惑わされてはいけないのです。
奴隷生活の方が良いはずがありません。
自分がいなごのような存在なはずはないのです。
問題が生じた時、目の前にエリコの城壁が現われた時、
まやかしの声もあるという事です。
主を選択してください。
主の前で、泣きながら自分が無力であるという事。
主の助けなしに生きていけないという事。
主の導きを待つという事。
主に自分の進むべき道を委ねるという事。を祈って下さい。
自分を明け渡す時に、主が働かれるのです。
主は、明け渡さない心に入って来られません。
大きな困難は、自分の限界を知るために与えられているんだと思います。
主の偉大さを知るために。
今日も、主を選びましょう!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)