いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:16-18
病院の仕事で、器具を洗浄する仕事、
また、病棟の手すりや器具を除菌シートで拭き上げる、フェイスシールドを作るという仕事があります。
この3つの仕事をする時は、私は祈りの時間なのです。
また各病棟に点滴や薬を届けるという仕事があり、病院内を歩き回る時間があります。
この時は、この病院について祈る時間としています。
昨日も祈りながら仕事をしていて、ふと思ったのです。
教会では、沢山祈るように言われます。
聖書にも、祈りの重要性が書かれており、祈り求めるように書かれています。
どうして、「沢山」祈るのだろう… と思ったのです。
「沢山」祈る必要性はなんだろう…
そして黙想しました。
神社などの場合も、願い事を祈ります。多分その祈りは短いです。
パンパンパン… 今年も健康な1年を過ごせますように!とか。
「〇〇できますように」という祈りが多いように思います。
合格しますように。結婚出来ますように。事業が成功しますように。病気が治りますように。
そして、それは自分や自分の家族について祈る事が多いと思います。
私の想像ですが、
神社に行って「Aさんの病気を癒して下さい」とか「Aさんが結婚できますように」という祈りは割合的には凄く少ないのではないか…
また「Aさんに信仰を与えて下さい」とは祈らないと思います。
それに対して、私たちは自分の祈りもしますが、
‟とりなしの祈り” があります。
「Aさんの仕事を祝福してください」「Aさんのお子さんが受験生です…」「Aさんのご主人が救われますように」と祈る事が多いです。
どうして、私たちは長く祈るのでしょうか。
どうして、沢山祈る事を求められるのでしょうか。
神社の場合、もしかしたら年に一度しか祈らない事も多いと思います。
主は、私たちに願う事を何でも祈りなさいと言われています。
一度、祈れば私たちの願いは伝わるはず。
聖書には、私たちが願う前に、主は私が何を願っているのか知っているとまで書いてあります。
また、仮に私たちが一度だけの祈りであったにしても、
主が私たちの祈り(願い)を忘れる事もないはず。
なのに、長く、何度も祈る事を推奨するのは… どうしてでしょう。
それは多分、主と私との関係性が、一方的では無いからだと思います。
神道の場合、一方的に願いをつらつらと申し上げる…と言った感じだと思います。
これこれについて、よろしくね!と言った感じに。
しかし私たちは、主と個人的な関係を結ぶことが出来るのです。
友達と一緒で、共に過ごす時間が長くなれば、相手を知ることができ、深い関係を持つ事ができます。
しかし一方的な関係性の場合、願いを伝えて終わるのです。
そして、とても重要な事があります。
私たちが祈りを通して、自分の願いを祈ります。
そしてその願いを何度も祈る中で、
その願いを何日も祈る中で、
心に変化が起こるのです。
自分の願いを叶えて下さい。という祈りは、
私たちが主を動かそうとしているのです。
キリスト教の祈りとは、
私たちが主を動かすのではなく、
私たちが主の方に動くのです。
自分の願いはある。しかし主はそれに対してどう思われているのか。
主が私に願うのはなにか…
主の計画はなにか…
主は私にとって何を最善と思われているのか…
という事を、長い祈りを通して少しずつ知ることになるのです。
私たちの祈りは…私たちが主を動かすのではなく、私が主の方に動く。
変わるのは私なのです。
私たちには、強い自我があり、欲もあります。
その強い自己中心的な考えが変えられるのに、時間がかかるんだと思います。
余り祈らない人は、
このような自分が変わるという経験が少なくなるので、
「祈っても主は私には与えてくれない」で終わってしまうんだと思います。
私たちの自我は強く、
「神さま。Aが欲しいです」「ダメだよ。あなたにとってはBが最善!」という風に
祈って直ぐに答えを得れたとしたら…
私たちは反発します💦
どうして??? 絶対にAでしょ! 私はAが欲しい!!
私たちは、長く深く祈ることにより、徐々に「自ら」が悟っていくのです。
自分の気持ちが、自ら納得できるように。
私たちは、いつも「主は祈りの答えをなかなかくれない…」と思っていますが、
主は多分「あなたの自我もなかなか頑固…」と思っておられるかも(笑)
聖書の中には、祈りによって主の心を動かしている場面もありますが、
基本的には、主を私の方に動かすのではなく、
私が、主の願いを自分の願いとして持つ事が出来るように…
沢山の時間、祈る必要があるんだと思いました。
これは、私たちがベストな道を歩む事が出来るように、主が願っておられるからです。
聖書には「絶えず祈りなさい」とあります。
時間を割いて祈る祈りだけでなく、
生活の中でも絶えず祈る事によって、
自分の心を主に寄せやすくなるのではないでしょうか。
自分の心が、自分の願いを一旦横に置き、主を見上げやすくなる…
その為に、「絶えず祈る」という事が必要なんだと思います。
これからは、まず…
「神さま。私があなたの御心通り歩む事が出来ますように。
あなたが持っている目的通り生きる事ができますように。
私の人生があなたの素晴らしさを表すものとなりますように。」
と、絶えず、口癖のように祈ろうと思います。
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」