主の恵みは私次第!!【マタイ7:7-8】

2024年

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

マタイ7:7-8

私の今年の目標は「貪欲になる」です。

この貪欲とは、主の恵みに対してです。

今日の御言葉にあるように、

主は、求める者には与える。

主は、探すものには見つけさせる。

主は、叩く者には開こう。と言われているからです。

「あ~ こうなったら良いな」「もっとこうだったら良いのに」「でも…主は私に与えてくれないだろうな…」と

考えるだけでは、求める事になっていないのです。

考え空想する事は、ここでいう求める事ではないのです。

聖書の言う「求める」というのは「祈り求める」という意味。

「願う」と「求める」は違うのです。

自分の中に、これは多分… 無理だろうな… と

思っている事って、人それぞれあると思います。

私にもあるのです💦

しかし、今日もう一度、この御言葉を読んで見て、

私が手に入れる事が出来る主の祝福の大きさは、私が信じ期待する大きさに比例するのではないか…

と思いました。

私たちが信仰する神は、信じることから始まるのです。

イエスキリストを信仰するとは、

贅沢を退け、節制した生活を送り、最低限の衣食住以上のことを望まない…

そのような信仰ではないのです。

主は私たちに対して、何かを諦め、放棄し、物質的所有を求めず、禁欲生活を強いる方ではないのです。

もちろん、主以上にそれらのものを愛した場合、それに心が奪われている状態であれば、

主は取られる事もあります。

しかし、基本的に私たちが信仰する主は、私たちが幸せに生きる事を望んで居られるのです。

祝福したいと思っておられる方なのです。

主は祝福をしたいと思っておられるのに、

私たちは「流石にこの祈りは…」「私が祝福されるはずがない…」などと、

求める前に諦めてしまっているのです。

だから… 受け取る事ができていない…

…マタイ9:27-29を見ると、

イエスさまは、道を通っておられると道端に座っていた盲人2人が

「ダビデの子よ。私たちを憐れんで下さい」と叫びながらついて来ました。

イエスさまは「私にそんなことができると信じるのか」と言われると、

彼らは「そうです。主よ。」と答えました。

すると、イエスは彼らの目を触って「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われ癒しを行なわれました。

あなた方の信仰どおりになれ!! です!

恵みを受けるかどうかは、私次第なのです…

もうこれは…

祈り求めるしかない… 貪欲に求めていきたいです!!

心で願うのは、口に手をあてガラス越しに眺めているのと同じです。

祈りは、時間を割いて一人心を落ち着かせ祈る事も良いです。

私は、外を歩きながら、話しかけるように長く祈るのが好きです。

祈りのスタイルは人それぞれ。

自分に合った方法で、祈り主に求めましょう!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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