青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
伝道者の書12:1
凄く懐かしい詩を目にしました。
ドイツのカール・ブッセという人の「山のあなた」という詩。
山のあなたの空遠く
「幸(さいは)ひ」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいわ)ひ」住むと人のいふ。
小学生の時でしょうか。暗記した記憶があります。
その時は意味も分からず、先生からハンコを貰う為に暗記したのですが、
今になって読んで見て、
詩のリズムの懐かしさと「えーーこんな意味があったのか!」と驚きました。
何の疑問もなく覚えただけだったのに…
『山の向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば
幸福があるのだと、誰かが言っていた
ああ、私も人と一緒に探しに行ったけれど
見つからず涙ぐんで帰って来た
それでも、山のもっと向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば
幸福があるのだと、人は言う。』
カールブッセは、今から100年程前の人物。
人間って考える事…同じなんですね💦
私は中学に上がったと同時に体調が良くなく…5年間勉強せずに過ごしました。
勉強せずに高校に進学したのです。
高2の終わりから体調が良くなり「最終学歴が今の高校じゃ嫌だ!」と思い勉強を始めたのですが、
まず漢字が読めない… 読解力もなく国語の教科書でさえも読んでも意味が分からず。
2つ下の妹に、国語の教科書の文章の意味を教えてもらった記憶があります。
だから受験勉強を始めた時「神さま!あの学校に進学したいです!私に学歴を下さい!学歴をくれたら私はこれから人生をスタートする事が出来ます!!
私はこれからの人生幸せに生きたいのです!!」と切に祈っていました。(神様は信じてなかったのですが)
そして、合格点の最低点で合格!
しかし就職活動をする時…また切に祈ったのです。
「神さま!良い大手の企業に就職させて下さい!上場企業に就職出来たら、私は(勉強できなかったという)暗い記憶を捨て去って、しっかり生きて行けます! 私のこれからの人生の為に、大手の就職先を与えて下さい!!!」と。
そして、就職先も与えてもらったのです。
会社に通い始めた時は、その会社の制服を着て、制服に付けている会社のネームプレートを見ながら、ニヤニヤとし、満足していました。
受験する時は、あの学校に合格さえ出来れば、今までのしんどい時間を忘れ、私は幸せにこれからの人生を歩めると真剣に思っていました。
そして満足げに学校に通っても、時が経てば「就職」という課題が出て来たのです。
ずっと学校に通う事は出来ないのです。
「そうだよね…就職しないと…」と思いつつ、でももし良い就職が出来たら… 次はもうそれ以上望むものはないと思っていました。
就職さえ望み通り出来れば、人生が安泰で幸せになると思っていました。
しかし、実際に務めて見て、誰にでも出来る仕事が面白くなかったのです。
なんかもっと専門的な仕事をしたい!!と思い、夜にスクールに通い転職しました。
あんなに望んだ上場企業は2年で退職。
まさにカール・ブッセの詩のようです。
幸せがあそこにあると思って、やっとの思いで目指したところまで来たのに…
来てみると幸せは見当たらず…
そこにいる人々に聞くと、幸せはもっと向こうにあるという…
人はいつも「幸せ」を求め、
「これさえ上手くいけば!」「これさえ手に入れれば…」「もう少しだけ良くなれば…」とあたかもあと一歩で自分は幸せを掴めると思ってしまう。
「苦労」も同じです。
「この山さえ乗り越えれば…」「もう少ししたら楽になれる…」「あと少しの我慢…」
苦労も、やっとの思いで1つの山を越えても、また必ず違う山がやって来るのです。
そう考えたら、私たちはずっと幸せを追い求め、
苦労はずっと付きまとって来るものなのでしょうか。
だとすれば、ソロモンが言うように「人生は空の空」に過ぎない…💦
ソロモンはこの世の人間で、飛び抜けた知恵と富と名声を持っていました。
妻も700人、側女300人もいたのです。
人間の目で見れば、これ以上何を望むものがあるのでしょうか。
したい事をすることが出来るし、買いたいものも幾らでも買えます。
名声もあり、自国だけでなく多くの他国からも崇められているのです。
そのような極めたソロモンが出した結論は、
主を抜きにした人生は、虚しいという事です。
それは「幸せ」も「苦労」も同じだと思います。
全てを持ったソロモンが出した人生の結論は、今日の御言葉です。
「創造主に心を留めよ」という事です。
主を抜いた人生を歩むなという事です。
「人間の心には ‟神のかたち” をした空洞がある。その空洞を埋めることができるのは人間を創造した神だけである」とパスカルも言いました。
私たちの心の隙間を埋めて下さるのは主である。
私たちに満足を与えて下さるのも主。
苦労も同じです。
主なしの苦労は、本当に苦しみだけなのです。
今ある苦労に意味があり理由があると信じれる人は、希望があります。
苦労にも感謝があり、主の臨在があるのです。
主を認めて人生を歩むという言事は、人生は単なる苦しみの連続という思いから解放されるのです。
今日も、主を覚えて共に歩む事を選択しましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」