虚しいだけの人生【伝道者の書12:1】

2024年

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。

伝道者の書12:1

凄く懐かしい詩を目にしました。

ドイツのカール・ブッセという人の「山のあなた」という詩。

山のあなたの空遠く
「幸(さいは)ひ」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいわ)ひ」住むと人のいふ。

小学生の時でしょうか。暗記した記憶があります。

その時は意味も分からず、先生からハンコを貰う為に暗記したのですが、

今になって読んで見て、

詩のリズムの懐かしさと「えーーこんな意味があったのか!」と驚きました。

何の疑問もなく覚えただけだったのに…

『山の向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば
幸福があるのだと、誰かが言っていた
ああ、私も人と一緒に探しに行ったけれど
見つからず涙ぐんで帰って来た
それでも、山のもっと向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば
幸福があるのだと、人は言う。』

カールブッセは、今から100年程前の人物。

人間って考える事…同じなんですね💦

私は中学に上がったと同時に体調が良くなく…5年間勉強せずに過ごしました。

勉強せずに高校に進学したのです。

高2の終わりから体調が良くなり「最終学歴が今の高校じゃ嫌だ!」と思い勉強を始めたのですが、

まず漢字が読めない… 読解力もなく国語の教科書でさえも読んでも意味が分からず。

2つ下の妹に、国語の教科書の文章の意味を教えてもらった記憶があります。

だから受験勉強を始めた時「神さま!あの学校に進学したいです!私に学歴を下さい!学歴をくれたら私はこれから人生をスタートする事が出来ます!!

私はこれからの人生幸せに生きたいのです!!」と切に祈っていました。(神様は信じてなかったのですが)

そして、合格点の最低点で合格!

しかし就職活動をする時…また切に祈ったのです。

「神さま!良い大手の企業に就職させて下さい!上場企業に就職出来たら、私は(勉強できなかったという)暗い記憶を捨て去って、しっかり生きて行けます! 私のこれからの人生の為に、大手の就職先を与えて下さい!!!」と。

そして、就職先も与えてもらったのです。

会社に通い始めた時は、その会社の制服を着て、制服に付けている会社のネームプレートを見ながら、ニヤニヤとし、満足していました。

受験する時は、あの学校に合格さえ出来れば、今までのしんどい時間を忘れ、私は幸せにこれからの人生を歩めると真剣に思っていました。

そして満足げに学校に通っても、時が経てば「就職」という課題が出て来たのです。

ずっと学校に通う事は出来ないのです。

「そうだよね…就職しないと…」と思いつつ、でももし良い就職が出来たら… 次はもうそれ以上望むものはないと思っていました。

就職さえ望み通り出来れば、人生が安泰で幸せになると思っていました。

しかし、実際に務めて見て、誰にでも出来る仕事が面白くなかったのです。

なんかもっと専門的な仕事をしたい!!と思い、夜にスクールに通い転職しました。

あんなに望んだ上場企業は2年で退職。

まさにカール・ブッセの詩のようです。

幸せがあそこにあると思って、やっとの思いで目指したところまで来たのに…

来てみると幸せは見当たらず…

そこにいる人々に聞くと、幸せはもっと向こうにあるという…

人はいつも「幸せ」を求め、

「これさえ上手くいけば!」「これさえ手に入れれば…」「もう少しだけ良くなれば…」とあたかもあと一歩で自分は幸せを掴めると思ってしまう。

「苦労」も同じです。

「この山さえ乗り越えれば…」「もう少ししたら楽になれる…」「あと少しの我慢…」

苦労も、やっとの思いで1つの山を越えても、また必ず違う山がやって来るのです。

そう考えたら、私たちはずっと幸せを追い求め、

苦労はずっと付きまとって来るものなのでしょうか。

だとすれば、ソロモンが言うように「人生は空の空」に過ぎない…💦

ソロモンはこの世の人間で、飛び抜けた知恵と富と名声を持っていました。

妻も700人、側女300人もいたのです。

人間の目で見れば、これ以上何を望むものがあるのでしょうか。

したい事をすることが出来るし、買いたいものも幾らでも買えます。

名声もあり、自国だけでなく多くの他国からも崇められているのです。

そのような極めたソロモンが出した結論は、

主を抜きにした人生は、虚しいという事です。

それは「幸せ」も「苦労」も同じだと思います。

全てを持ったソロモンが出した人生の結論は、今日の御言葉です。

「創造主に心を留めよ」という事です。

主を抜いた人生を歩むなという事です。

「人間の心には ‟神のかたち” をした空洞がある。その空洞を埋めることができるのは人間を創造した神だけである」とパスカルも言いました。

私たちの心の隙間を埋めて下さるのは主である。

私たちに満足を与えて下さるのも主。

苦労も同じです。

主なしの苦労は、本当に苦しみだけなのです。

今ある苦労に意味があり理由があると信じれる人は、希望があります。

苦労にも感謝があり、主の臨在があるのです。

主を認めて人生を歩むという言事は、人生は単なる苦しみの連続という思いから解放されるのです。

今日も、主を覚えて共に歩む事を選択しましょう!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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