どうして若いうちに主を覚えるのか?【伝道者の書12:1】

2023年

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。

伝道者の書12:1

伝道者の書を読んでいます。

何度も何度も出てくる「空しい」という言葉。

ネガティブに聞こえますが、

決して、無駄である、儚い、無意味、空っぽと言う意味ではなく、

地上での私たちの命は限りがあり、

一瞬であり、束の間であると言う意味だと思います。

だからこそ、懸命に、豊かに、意味のある生き方をしよう!

自分勝手は自分の欲を満たす生き方ではなく、主を覚え、主と共に生きよう!という意味だと思います。

今日の御言葉を見ると、

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」とあります。

ソロモンはこの個所で初めて、主の事を「創造主」と呼んでいます。

遠い存在の神ではなく、私たちを造られ、命を与えられた自分の主権者だと強調しているんだと思います。

一方的に崇めるだけの神ではなく、自分という人間を創造した主権者を覚えなさい。

その理由として「苦しみの日々が来ないうちに」です。

人間の人生には、苦しみが来るという事です。

苦しみは、この地上での経験するものかもしれませんし、主を知らずに生き、罪の清算かもしれません。

「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。

主を知らずに年を重ねれば、本当の平安や主の愛、罪の赦しを知らない時間を、人生の大半、過ごすという事です。

人間が感じる虚しさ、いつまでたっても得る事が出来ない満足感など、

大半は、罪の問題が解決していないから感じる事だと思います。

主を知らずに生きて行くという事は、本当の喜びを知らずに生きて行くという事。

それは辛い人生です。

若いうちから主を覚え、自分をお造りになり、命を与えて下さった創造主を覚えて生きていく。

全ての日々が主の支配の中にある事を記憶する。

それが、豊かな時間を過ごす事ができる道なのです。

年を重ねるごとに、「死」に近づきます。

若い時は「死」はもっと先にあると思っていますが、年を重ねると誰もが少なからず「死」意識するようになるのです。

主を知らない人が、死を意識し始めた時、

私たちは、どんなに努力しても、歯を食いしばって頑張っても、結局は死ぬんだ…と思うと、

人生は儚く感じるのです。

全てが無意味に思えるのです。

「死」の足音を感じると、

心から平安や安心感、喜びを感じる事が出来ないのです。

しかし自分に近づいている足音は、本当は「死」の足音ではないのです!

主であるイエスキリストの足音なのです。

主に出会える日が近づいているのです。

やっと、会う事がゆるされた日を迎える事が出来るのです。

決して「死」は暗く、希望がないもの。儚く、今までの人生を無意味にするものではなく、

待ちに待った、会いたかったキリストに会える日なのです。

若いうちからキリストを覚え、虚しい日々を送る事がないように…

そのような悲しい人生を歩むのではなく、

主は、私たちが幸せで、楽しい人生を歩む事を望まれています。

その為にも、主を覚える必要があるのです。

今日も、主を覚えましょう!

今日も、主に祈り、主と時間を過ごしましょう!

「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」

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