自分が気付いていない心の傷があります【詩篇139:27】

2023年

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

詩篇139:27

今、伝道している人がいます。

3人のお子さんがいるお母さん(Aさん)です。育児に疲れています。

Aさんも三人兄弟の一番上でした。凄く厳格なお父さんに育てられたそうです。子どもは親の言う事に口答えはしてはいけない。それが「良い子」だと言われてきました。

Aさんは厳しいお父さんに認められたく、お父さんが言う事をしっかりと守って生きてきました。また長女として、下の2人の妹と弟より真面目に守って生きて来たのです。

そして成人になり気付いたことがあったそうです。恋愛をして結婚をしたいと思ったそうですが、今まで自分の意志で何かを決めた事がなかったのです。

誰かと出会っても、Aさんには自分の意志がなかったのです。「どこに行きたい?」「今日何をしる?」と聞かれても、答えに困るのです。

また不平不満を全く言わないのです。言わない事がストレスというより、それが当たり前となってしまっていました。

Aさんを良く知る友達が、男性を紹介をして恋愛し結婚をしました。

そして3人の子どもが与えられ子育てをしているのです。

子どもは、自由奔放です。したい事をし、母親の言うことも聞きません。

「〇〇を食べたいって言うんだよ・・」とストレスになっているのです。他の人が聞いたら、その言葉のどこがストレスかは分かりにくいですよね。

Aさんは「〇〇を食べたい!」と親に言った事がなく、親にそのように言える環境でもなかったのです。

「自分はそんなことを要求できなかった。なのに、子どもは何も考えずに〇〇が食べたい。〇〇が欲しい。〇〇を買ってくれと泣く・・・私は我慢して生きて来たのに、今は子どもに我慢をして生きないといけないのか・・・」

子どもの反抗期も受け入れられないのです。

そして、何かを要求される度に、親の話を聞かない度に、大声で怒ってしまうそうです。

もう一人、伝道している人(Bさん)も同じようなストレスがあります。

凄く凄く経済的に難しい中、育って来たそうです。食べるのがやっとの生活。親のため息を何度も見ながら育ったそうです。

ですから、子どもの時から「〇〇を買って」とは言えなかったそうです。それが例え、生活に必要なものであったとしても。

しかし、子どもは似たようなおもちゃを欲しがる。家に同じような物があるのに、簡単に買えと言う。自分には買ってもらう権利があるかのように要求してくる。

おもちゃ屋さんに行くと、子どもたちは色々なおもちゃを手にして大騒ぎです。

しかし、Bさんは子どものそのような喜んでいる姿を見ると、イライラがMaxになるそうです。「そのおもちゃは本当に必要??」と怒鳴ってしまうそうです。

おもちゃを買って家に帰り、子どもは念願のおもちゃを手にしてニコニコするはずですが、いつも子どもは静かにしているそうです。お母さんが怒ってイライラしてるのを感じているからです。

当分の間は、家でそのおもちゃで遊ぶ時は、お母さんに見えないように隠れて遊ぶそうです。

AさんもBさんも、子育てをする前までは、気が付かなかった事があったのです。

Aさんは、親に従順する。口答えしない。意見を言わない。何も自分で決めない。・・・これらは凄く我慢をしていた訳ではなく、当たり前に守ることであり、守ってこそ「良い子」でいる事が出来ると思っていたのです。

Bさんは、経済的に貧しくとも両親に愛されて育ちました。しかし、自分の願いと親の姿の狭間で、自分の思いを発言する事が出来ず、我慢して育ってきたのです。

2人とも成人になった時、これらが自分の問題点だとは思ってもいませんでした。

しかし、子育てを通して、異常にストレスを受け、イライラが募り、怒りが爆発するのです。

私たちの中にも、このような傷があります。

気が付いていない傷。見て見ぬフリをしている傷。これぐらい皆、同じような環境だ。苦しいのは私だけじゃない。もっと辛い思いをしている人は沢山いる・・・

このように、自分の傷を放置してしまうのです。

しかし傷は放置しても時間が解決してくれません。

Aさん、Bさんのように、自分の蓋をした傷が揺れ動く時があるのです。

何かの拍子に、感情が大きく揺さぶられる事があるのです。

感情が揺さぶられる時は、その根っこを考える必要があります。

どうして、ここまでイライラするんだろう? どうしてこんなに怒りが湧き起こるんだろう。

スルーしないで、自分の根っこが何か探してみてください。

癒されるべき傷があるはずです。

癒されていない傷は、誰かに受け継がれてしまいます。(AさんBさんの場合は子どもに)

今まで気にしていなかった、もしくは気にしていたけど、癒しを諦めている傷があるはずです。

根っこにある傷に気付いた時は、主の御前に座り、祈って癒しを得るしか方法がありません。

自分の感情が激しく揺れ動く時、主かその傷を癒したい時なのです。

AさんもBさんも、癒しが必要です。

「〇〇が食べたい」「〇〇が欲しい」「おもちゃが欲しい」と言うのは子どもにとっては自然な事で、悪いことではないです。

子どもの自然な思い、要求で、お母さんが不機嫌になりイライラされ、大声で怒られ、せっかく買ってもらったおもちゃを陰で遊ぶのは不自然です。子どもも辛いです。

お母さんたちも傷が癒され、解放されるべきなのです。

今日、主に示しと癒しを受ける一日となりますように!!

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