イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、箴言1:1-2
私は「箴言」が好きです。
箴言、ヨブ記、伝道者の書、詩篇なども「知恵の書」と言われています。
知恵の書が好きな人は多いのではないでしょうか。
箴言を読むと、素晴らしい格言の様な文章にため息が連発します。
私たちは、知恵ある者になりたいと思っています。
誰も、愚かな者になりたいとは思わないのです。
しかし、この世的に考える ‟知恵” と、聖書が言う ‟知恵” は意味が少し違うように思います。
一般的に‟知恵ある者” とは、周りの人を出し抜くような発想力や思考力…
ずば抜けた能力、優れた能力のような感じではないでしょうか。
聖書が言う「知恵」は、「正しく敬虔な選択が出来ること」を指すと思います。
私たちは日々、沢山の選択をします。
昼ご飯に何を食べるか、というような選択から、人生を左右させる大きな選択まで、何度も何度も選択をしています。
また即決で選択しないといけない物もあれば、一定の時間をかけて悩み選択するものもあります。
しかし、人生の選択の多くは余り時間をかけずに選択する事が多いのではないでしょうか。
人に何か言われ、それに対して答えないとけない時、
朝、聖書を読むかどうか、
祈ってから決断するかどうか、
今からAをするか、Bをするか、
私たちは格言のような聖書の言葉を記憶することにより、
より一層、良い選択ができ、より謙遜な態度を選択できたり、より主に喜ばれる方を選ぶことができるのです。
このような事を考えながら、
聖書に「知恵の書」があるという事が、すごいな…と思いました。
聖書は、「私が唯一なる神だ」「私の御声に従いなさい」「私の御声を聞きなさい」「私に感謝しなさい」「私を崇めなさい」「私だけを愛しなさい」「私に祈り求めなさい」…
このような事ばかりを、聖書を通して言われているのではないのです。
私たちに、知恵の書を与えられた神さま。
知恵の書を与えられた目的は何でしょうか。
私たちが、豊かな人生を歩む為です。
私たちが、良いものを選択する為です。
私たちが、祝福を受ける為です。
私たちが幸せに生きるために、判断の指針を教えておられるのです。
箴言を、「自分の人生の指針」、「自分の人生の知恵」としなければ…
今日も、主によって良い選択が出来ますように…!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」