それから、イエスは群集を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
マルコ8:34
次男が、教会の中高生の夏のキャンプに行ってきました。
昨夜帰ってきました。
私は、昨日、週二回の看護助手のパートで夜勤明け・・凄く忙しくバテバテで眠かったのですが、
次男が凄く恵まれて帰って来るんだろうな~と思い、眠い目を擦り帰って来るのを待っていました。
次男「ただいま~」← 声からして疲れてる
私「お帰り!!! どーだった??」
次男「(無言で)待って・・」
冷たいお茶を入れて落ち着かせ・・・
私はワクワクしながら、次男が話し出すのを待っていました。
そして次男は「スッゴク良かった!! 本当に良かった!!」と話しだし・・
「何か、‟主が共に居られる”っていうけど・・それが本当に言葉だけでなく、本当に一緒にいるって感じた!」
「イエスさまの弟子たちが、全てを置いて直ぐに主について行ったっていうのが分かる・・」
「身も心も捧げたいって思った!」
「メッセンジャーの牧師先生が、洗礼をまだ受けていない人、幼児洗礼だけ受けた人、今、もう一度主を受け入れたいと思う人は前に出て来てくださいって言われて
主に示されたら、前に出ようと思ってたのよね。(次男は幼児洗礼)
そしたらさ、自分の意志ではなく体が勝手に前に出て行った!!
その先生がハグしてくれたんだけど、
まるでイエスさまに抱いてもらったように感じた・・」と言って
その時の写真を見せてくれました。
その写真をここにUP出来ないのが残念ですが。次男は、叫ぶように泣いて先生に抱きかかえられています。
私は終始「うんうん!」「へ~凄いな」「それで?」「・・って言う意味?」と次男が頂いた恵みを感じたく聞いていました。
すると次男は、
「ちょっと・・辞めて欲しい」と言うのです。
私があいづちを入れたり、途中で何かを聞くのを辞めてというのです。
「せっかく話してるのに・・話せなくなる! もう・・お母さん、気を付けて!!」と・・
私は「え・・? あいづち入れたらダメなの?」と思い(声には出さなかった)
ちょっと、「は?何それ・・」と思ったのです。
会話ってあいづち入れて聞くものじゃない?と心で思いました。
それを黙って最後まで聞くって・・どうなんだろ?
そんなにうるさかった?
と色々な思いが浮かんだのです。
次男と私は性格が違うんだと思います。
次男は声も小さいし、ゆっくり話します。
私としては、もうちょっと声出して・・もうちょっと早く話して欲しい・・
次男は凄く恵まれて帰って来て、
私も次男の話一つ一つが恵みで・・
そして突然・・「は?何それ?」という思いが生じたのです。
もちろん普段から、ちょっと違う部分があるので、互いに「またか・・」という思いが沸き上がったのです。
そして私は、次男に「あいづちも入れないで聞くっておかしくない?」と言いたくなりました。
その時「あなたは自分で次男の恵みをつぶすのか・・」という思いが心を過ぎりました。
「あっぶな~~~!!!」と思い、
「ごめん。ごめん。黙って聞く!!」と言いました。
そして、次男は、自分が感じた事、思った事をゆっくり話し始めたのです。
次男が居ない時に私は一人で、
キャンプで撮影された写真や動画を見ました。
今回の2泊3日のキャンプの第一日目の始めの礼拝で、次男が賛美のリードをしたそうで、その動画を見たり、
また次男がリードや楽器を担当しない時は、最前席に座り、両手を上げて賛美をしてる姿がありました。
そして、何度も「イエスさまに抱かれたように感じた」という写真を見ました。
本当に私は愚かな事をしてしまう所だったのです。
私が一言「え? あいづち入れないっておかしくない?」と言えば、多分互いに話はキャンプの恵みとは全く反対方向に一直線に・・・💦
凄く大きな恵みを頂いても・・
私の手でつぶすかも知れなかったのです。
なんて愚かな・・と思うと同時に、
大きな恵みを貰っても、一瞬にしてなかった事に出来る・・💦
一瞬にして自分の自我の様な思いが、全てを台無しにするところでした・・
大きな恵みの後に、それを邪魔をするものが顔を見せました。
これは、私の中にある自分が正しいと思っている自我なのです。
主の恵みの邪魔をする大きな敵は、私の心の内側にいるのです。
あぶな・・・💦と思うと同時に、
日頃から気を付けないと・・と思いました。
自分の意見や思いが強く持ってしまったら、恵みも語りかけも目に入らないかもしれない。
もしかしたら、見過ごしてしまって来たかもしれない・・
大きな恵みも、一瞬にして壊してしまう事が出来る自分の自我・・
今晩も、主の恵み豊かな時間をお過ごしください!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」