イエスさまの口癖【マタイ14:28-31】

2023年

すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」

イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。

ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ、助けてください」と言った。

そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

マタイ14:28-31

昨日は、学校が休みで次男が珍しく一日家にいました。

いつも、土日は教会に行って楽器の練習をしたり遊んだり、教会の友達と過ごす時間が長いのです。

しかし予定のない次男は、一日中ダラダラと過ごします。

「高校の春休みの宿題でもしたら?」と声を掛けますが、「えーーしない~また今度~」とスマホで遊んでいます。

「言った所で(宿題や勉強)するわけでもないしな・・」と思いつつ、

私は宿題が気になります。次男は、今まで夏休みの宿題など全てを済ませ提出したことがないからです💦

「あのさ・・」とまた宿題をするように言いたくなります。

ふと、私って「〇〇しなさい!」って口癖になってるかな?と気になりました。

そして、ふと、イエスさまの口癖ってなんだろう・・?と思いました。

口癖って・・その人が持っている「思考」であったり、「心理状態」や「行動」が口から現れるのです。

言う人にとっては、「本当にそう思う」もしくは「本当にそう願う」から口からついつい出てしまうものだと思います。

(以下は、特に根拠がある訳でもなく、特に調べた訳ではなく、自分の記憶から思い起こしてみただけです。)

イエスさまの「本当に・・そう思う!」という口癖・・(私の勝手は判断ですが)ってなんだろうと考えてみました。

2つの言葉が心に浮かびました。

まず思い出したのは、「信仰の薄い人たち」という言葉。

弟子たちに対して何度か言ってるように思います。

イエスさまと弟子たちが舟に乗っており大暴風にあって寝ているイエスさまに助けを求めた弟子たちに対して(マタイ8:26)

弟子たちに神を信頼するように諭している時、「きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ・・」と話された時。(ルカ12:28)

「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」と言われた時。(マタイ16:8)

からし種ほどの信仰があったら・・(マタイ17:20)

他にもあるかもしれません。

また、病人や罪人に対して癒しを施した後に、口癖のように言われる言葉があります。

「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

罪深い女性が、涙でイエスさまの足を濡らし髪で拭い、香油を塗った時(ルカ7:50)

12年間長血を患った女性が、イエスさまの着物を触った時(ルカ8:48)

10人のらい病人を癒し、1人だけ主に感謝する為戻って来たサマリヤ人に対して(ルカ17:19)

盲人のバルテマイに対して(ルカ18:42)

これも他にあるかもしれません・・

この2つがイエスさまの口癖だ・・とは断言できませんが。でも確かに聖書に何度か言われているのが記録されています。

イエスさまが「まことにまことに、あなた方に告げます」と言われる事があります。

この繰り返して言われるというのは、「これから重要な事を言うよ!」という前置きです。

だから、イエスさまが何度か言われている言葉・・自分の心に留めてみるのが良いかもしれません。

イエスさまの「あなたの信仰が、あなたを救った」と言う言葉。

私たちは主に対して祈る時、こうなって欲しい。このような道が開けて欲しい・・問題を早く解決して欲しい・・と節に願います。

私たちは、強い願いを持って主が答えて下さると「期待」します。

しかし、「期待」と「信仰」は少し違うと思います。

もちろん、主に期待して信仰を持っているのですが。主が言われる「あなたの信仰があなたを救った」と言う言葉は、

治るという「確信」を持って主にすがり付いている・・・という状態だと思います。

節に願うという態度と、絶対に癒されるという態度・・・

「期待」する事と「確信」する事は違います。

「確信」をもって主に依り頼む者を、主は認められている様に感じます。

また、主は弟子たちに何度か「信仰の薄い人たち」と言われました。

このセリフの部分を読むと、「あぁ・・・なんて信仰が薄いんだ・・」と言ったイエスさまのため息が聞こえてきそうです。

イエスさまが望まれているような信仰を持てない弟子たち。

何度も失敗する弟子たち。

イエスさまと共に過ごす時間が長かった弟子たちでさえ、「信仰の薄い人たち」と言われたのです。

しかし、イエスさまは忍耐を持って弟子を教えられ、諭を与え続けられました。

「信仰の薄い人たち」という言葉はマイナス的な言葉ですが、主の忍耐される姿、出来ない私たちに寄り添う姿、主の諦めない姿・・・

主が私たちに、手を差し伸べ、引き上げようとして下さっている姿を感じます。

私たちは、もっと「確信」を持って主に祈り、日々歩むべきだと思いました。

「信仰の薄い人たち」・・と主をガッカリさせたくないです・・

「あなたの信仰通りになった」と言われるキリスト者になりたいです・・・

今日も、主と共に歩み、確信を持ちながら祈る1日をお過ごしください!!

 

PS. これってイエスさまの口癖じゃないかな‥と思う言葉があれば教えて下さい~!

タイトルとURLをコピーしました