ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」
使徒3:6
私は少し前に反省した出来事がありました。
子どもが通っている学校は、日本にある韓国系の学校。
小学校から通い、今次男は高1です。
長男も同じ学校に通っていたので、私はこの学校の保護者16年目です。
学校はそれほど生徒数が多い方ではなく、兄弟で通っている家庭が多いです。
ですので、私は知っている保護者が多い状態です。
またPTA活動にも参加しています。
その活動の中で、今年に入ってからよく話すようになった保護者Aさんがいます。
Aさんの子どものクラブの推薦でこの学校に来ることになったようで、Aさんもご主人も日本人。
そしてその子どもはこの春に高校を卒業し、韓国の大学に留学したのです。
うちの長男も韓国の大学に行っていますが、私にとって韓国は外国と言う感じはせず、近い国ですが、Aさんにとっては行った事がない外国へ子どもを留学させたのです。
Aさんが私に「もう、この春で学校を子どもが卒業するんだけどさ・・これからも定期的に会う友達になってくれない?」と言いました。
「うん。もちろん!」と答えました。
私は、Aさんは韓国について良く知らないだろうし、娘さんの留学が不安なんだろうな・・と思い、
「何か留学で分からない事があったり、困った事あれば、いつでも連絡入れて!遠慮はいらないから!」「娘ちゃんも困った事あれば、うちの長男を頼ってくれていいよ。」といい、
私は長男にこの話をしました。
「高校の後輩なんだし、日本人だから気にしてあげて、あなたが先に連絡入れて見て」と。
そして長男と娘ちゃんとラインで繋がり・・
Aさんには、この手続きはした方が良いとか、保険についてとか、知っている情報を教え、手伝いました。
そして、私は何となく自分の役目を果たしたと思っていました。
そして卒業してから一度、Aさんから「一回、お茶できない?」と連絡があり会いました。
そしてAさんは別れ際に「これからも定期的に会う友達になってね!」と言いました。
「うん!もちろん!こちらこそ、よろしく!」と答えました。
帰り道・・・
Aさんは留学で困っているから私と友達になりたいのかと思ってたけど、それだけじゃないのかな・・と思い、
もし娘ちゃんが困る事があれば、長男が解決してあげれるだろうし・・
余り、私と接点のないAさん。
留学とは関係なく、純粋な友達を望んでるのかな・・と思いながら家に帰りました。
そして数ヶ月経ち、偶然学校でAさんに会ったのです。
「あれ?どうしたの?え?学校・・?」と驚くと、娘ちゃんが所属していた部活動の用事でたまたま来たというのです。
そして私に「またお茶しよーよー」と。
私「了解!また連絡するね~」と言い。
先日、2回目のお茶をしました。
明るく気さくなAさん。
子どもの留学話や、自分の仕事の話、色々な話をしました。
そんな会話の中で私が、
「日曜日は教会だから」というと
Aさんは驚き・・「教会ってなに??」と聞きました。
私「え? あ・・私、キリスト教なんだよ~ 知らなかった? 学校の保護者も先生方も、殆ど知ってるんだけど(笑)」
Aさん「知らなかった・・ていうか、教会ってなに? 統一教会とは違って?」
私「うん。違うね~ クリスチャンって聞いた事ある?」
Aさん「あるある。クリスチャンなの? えーーークリスチャンという人に初めて出会った!(笑)」と言うのです。
「家の近くに教会ない?」と聞くと、「見た事ない・・」
Aさん「クリスチャンって日本にいるの?」と言うのです。
私はその時に、心の中で主に深く反省をしました。
何となく、私がAさんの助けとなる事は全てした。と思っていたのです。
だから私の役目は終わったと思っていました。
そして、何と言っても、私は何となく毎日、忙しいのです。
もっと正直に言えば、
彼女が何か助けが必要であれば、可能な限り助けてあげるし、困る事があるなら解決してあげたいと思っていました。
それは全く負担には感じておらず、遠慮せずに絶対に連絡していいから!!と思っていました。
でも単なる友達は・・そこまで必要性を感じていませんでした。
忙しくなく、時間的に余裕があるのであれば、もっと積極的な考え方を出来たかもしれませんが、
しないといけない事を横に置いて、彼女との時間を持つことが、
今の自分には少し負担だったのです。
「イエス・キリストについて真っ白な人」と出会い、
あ・・・私は自分にメリットがあるかどうかで線を引いてしまっていた・・💦
相手が困っている事、助けてあげれる事さえ、主の愛をもってすればOKだと思ってる所があったのです。
「クリスチャンって日本にいるの?」っていう言葉を聞いて・・
あ・・・彼女に必要なのは、留学に関する助けではなく・・・
主の救い・・
え・・人間って目の前にある問題を解決してあげる事よりも・・・救いを伝える方が大切・・
今日の御言葉を思い出しました。
ペテロとパウロが言った言葉です。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」
私がペテロやパウロのように癒しの力を賜物として持っている訳ではないのですが。
私が主に頂いているもの・・
主の恵みを分ける事。
主の救いを知らせる事。
あ・・・私は主が私に送った人を、私は自分が持っているものを分けずに、パスしようとしていたのです。
凄く分かりやすく「これからも定期的に会う友達になって」と、主が送って下さった人に対して・・
困っている人を親切に助けてあげる・・
これは単なる「良い人・良いクリスチャン」です。
私は「良いクリスチャン」になるだけで満足してしまっていたのです💦
主は私が「良い人」になる事を望んでいません。(望んでいない訳ではないけど・・)
主は私に「良い人」より「救いを伝える人」になる事を望まれています。
あ・・・私は何か凄く大きな間違った考えを持っている・・という事に気付きました。
主よ。彼女を送って下さり感謝します!!
彼女と彼女の家族が救われるように、今から祈って準備します!!
今日も、主の御声に耳を傾け、主と共に歩む1日をお過ごしください!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」