主を信じたのなら、困難が少なくなれば良いのに【出エジプト13:21-22】

2023年

主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすために、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。

出エジプト13:21-22

日常生活を送る中で、色々な出来事が生じます。

良い事もあれば、良くない事も多く起こるのです。

主を信じたのなら、困難が少なくなれば良いのに・・と思いませんか?

主が神であるなら、どうして私たちを困難から守って下さらないのでしょうか。

自分たちに立ちはだかる困難が、主から来るのか悪から来るのかは分かりません。

自分が招く事もあります。

しかし困難に遭うという事は、少なくとも主が良しとされ認められ起きているのです。

主は私たちを愛すると言われながら、

ご自分は愛の神だと言われながら、

どうして私たちが苦しむと分かっていながら、

私たちに病や死、天災、経済的問題、考えたくもない困難を良しとされるのでしょうか。

主は私たちにどうして幸せだけを与えてくれないのでしょうか。

多くの人が一度は考える事だと思います。

私たちは、主とどの様な時に出会ったのでしょうか?

順風満帆な人生を送れている時でしょうか。

何の悩みも苦しみもなく、最高にHAPPYな時でしょうか。

殆どの人は、人生が苦しく虚しく感じている時に出会っているのです。

人生に問題が無い時は、私たちが主を必要としないのです。自分で何もかも出来ると思っているからです。

自分の無力さ、自分で解決できない問題に見舞われた時に、自分の限界を感じ、主を求め主と出会うのです。

私たちの目に、人生の底だと感じる所で主が待っておられるのだと思います。

少なくとも上(順風満帆の時)ではないように思います。

イスラエルの民・・

主が選ばれ愛された民です。エジプトから解放され、直ぐに約束の地へと導かれませんでした。

40年もの間、私たちの目から見るとイスラエルの民は、荒野を彷徨ったのです。

この期間、民は苦しさを覚えました。「奴隷時代の方が良かった」とさえ言ったのです。

彷徨い続ける40年間は、どん底だと感じたと思います。

私たちが、どん底の中で主に出会い、

「主は私の人生において全てを益としてくださる」という事を経験したように、

イスラエルの民も、苦労や苦難の中で主を経験し出会ったのです。

エジプト軍に追われ、絶対絶命の危機を感じる事もありました。食べ物や飲み物ががない時もありました。

数々の困難を通して、主を信頼する事を体験させたのです。

しかし、この40年、主は苦難だけを与えられたのではなく・・・

毎日その日に必要なマナを民に与えられました。

昼は雲の柱、夜は火の柱で、暑さと寒さから守って下さいました。

今日の御言葉を見ると「雲の柱、火の柱が民の前から離れなかった」とあります。

私たちが、難しい中に居る時、主の守りは私たちから片時も離れないのです。

 

私たちも信仰生活を長くもてば、次第と信頼する心が生じるのではないのです。

毎週礼拝を休まず、信仰生活を守りさえすれば、自然と信頼心も強くなるのではないのです。

私たちが感じる人生のどん底・・・

主の目には、私たちのどん底は「救いの門」であり「主が働かれる時」なのです。

私たちが自分の弱さを痛感する時、

自分の無力さを心から認める時、

主の御力が完全に働かれるのです。

ですから私たちは、日々デボーションを通して、自分の弱さ無力さを認め謙遜になるべきなのです。

日々、イエスキリストにより生かされていると感謝するべき存在なのです。

今日は、本能のように持ってしまっている自分には出来る。頑張れる。という高慢な思いを、

十字架の死の前に明け渡し、主の愛と恵みを受ける一日となりますように!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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