主の御声、聞こえません・・・【詩篇62:1】

2023年

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

詩篇62:1

近所のスーパーに行くと、迷子の女の子が居ました。

ママとはぐれた様で、サービスセンターの方が付き添って話しかけていたのです。

この小さな女の子はシクシクと泣きながらも、店員さんの質問に答えていました。

すると遠くから「〇〇ちゃん!」というママらしき人の声に、女の子も店員さんも反応し、「ママ~!」と、ママに駆け寄り、そして大泣きしていました。

その女の子を見ながら、以前家で一緒に暮らしていた里子のB君を思い出しました。

2歳の時に我が家に里子で来た男の子B君。当時次男は4歳。長男10歳。

里子で来た子どもの殆どが、「試し時期」を過ごします。

B君にとっては無意識の行動なのですが。「里子が里親を試めす時期」なのです。

この人は自分をどれぐらい受け止めてくれる大人なのか、試すのです。

多くの里子がする行動として、牛乳を部屋にまき散らしたり・・本を破いてみたり、「やめてーー!!」と叫びたくなるような事をします。

しかし、この子の命の危険が考えられる行動以外は、試し時期の子どもには好きにさせてあげるのが基本的な里親の姿勢なのです。

この「試し時期」は半年で終わる子もいれば、3年以上・・小学校高学年になっても続く子どももいるようです。

色々な出来事がありました。

その中で思い出したのは何度も経験した迷子。

大人の感覚でいうと、B君は親を困らせたいのです。(本人は無意識)

困らせても自分を本当に受け入れてくれるか・・

買い物などで外に出ると・・長男や次男がしなかった事を沢山します。

その中の一つとして思いっきり走って行くのです。(しかも驚く程早い・・)

小さい子が目の前の何かに気を取られて迷子になるのとは違う行動です。

ある時、私と2人でスーパーに行った時、B君は急に走り出し、少し先で同じ月齢位の小さい女の子にぶつかり、女の子が尻もちをつき、泣いてしまいました。

その子はご両親からほんの少し離れた瞬間だったのです。そのまま過ぎ去る事が出来ず、「ごめんね。大丈夫?ママどこかなー?」と探していると、

B君は、既にもう見えなくなっていました💦

「あぁぁ・・どうしよう💦」と思いながら、女の子のご両親に謝り、「B君!」と大声で呼びながら探しました。

本当に迷子になるとB君は不安になります。

「自分を探してくれない」「自分は捨てられた」と感じてしまうのです。

20分ほど探し続け、ずっと向こう側に、B君らしき子どもが泣いていて、お店の人が身をかがめて話しかけてくれているのが分かりました。

私は、一瞬でも早く私の姿を見せいようと「B君!」と叫ぶのですが、B君はパニック状態で泣いています。

B君は自分の泣き声で、店員さんの声も、私の声も聞こえないのです。

その時、スーパーの前でイベントの為にパンダの着ぐるみを着ていた人が、子どものギャン泣きを聞いて覗きに来てくれました。

突然現れたパンダに、B君は一瞬気を取られ、泣き止み・・

そして私の「B君!」という声が耳に届いたのです。

その瞬間は、子どもらしく泣いて抱き付いて来るのですが、店員さんが居なくなると・・

キレまくります💦

「自分を置き去りにした」という思いがあるのです。(自分で勝手に走り去ったのに)

大暴れです。

こうなると「絶対にお母さんは、B君を置いてどこかに行ったりしないから。B君が迷子になったら、絶対に見つけてあげるから」と繰り返します。

B君が納得し落ち着くまで。

B君を育てている時は毎日必死でした。どのように接するのが一番良いのだろう・・と考える日々。

夫の前では可愛らしいB君。上手に甘える事ができます。私の前では180度違う態度。自分が上に立とうとし、幼子とは思えない怒りの表情、態度を見せます。

B君はママと2人で暮らし保護されました。

女の人(母親)に対しての怒りの思いがあったんだと思います。

私は、毎日が必死。ため息の連続で・・今振り返って気付くことも多いです。

迷子になってシクシク泣く女の子と、B君のパニックで泣く姿・・対象的です。

女の子も不安はあるはずです。しかし直ぐに親の声に反応出来たのです。

B君の態度・・人間の姿です。

夫の前で甘える姿も、怒り暴れる姿も、自然なB君なのです。

傷がある部分に触れると、反応し怒ったり暴れたりで全身でSOSを出すのです。

私たち大人も、過去の嫌な経験がフラッシュバックしてしまった時、同じような出来事に遭遇してしまった時、過剰な態度や落ち込みをします。

その思いは、簡単には止められないのです。

一日中、その嫌な思いに縛られるのです。過去を思い出される出来事が、また自分をかき乱すのです。

そして、自分の心は不満や怒りで一杯になります。何をしてもイライラしたり悲しさに襲われたり、無力感を感じたりするのです。

B君がギャン泣きし、店員さんの声も私の声も聞こえないように、何も入って来ないのです。

主の声は、稲妻のように激しく語られるのではなく、主の声は小さな声で語られます。

自分の心を自分の思いで一杯にして、SOSを出しても主の声は聞こえないのです・・

自分の傷が大きければ大きいほど、目の前の問題が大きいほど、私たちは心を簡単に奪われてしまいます。

私たちはいつも「主の御声に聞き従いたい」と願い、祈っています。

切に願っているのに、自分の思いや考えという声が大きすぎて、何も聞こえないのです。

そして「私は祈っても、主は何も答えてくれない」と感じてしまうのです。

問題が大きいほど、心を縛る傷が大きいほど、自分の思いや考えを捨て、静かにしなければならないのです。

自分の心が乱された時、自分の心が平常心から離れた時・・・

静かに御声を聞く時なのです。

主が語られる時なのです。

私たちも(主を試そう・・などという思いはないと思いますが)自分で勝手に走り出し・・道を失い、大慌てし・・・「主よ!早く助けて下さい!」「どうして助けてくれないのですか?」と腹を立てる事があると思います。

心が乱された時ほど、心から自分の思いや計画を捨て、空っぽにして主に助けを祈る必要があるのです。

今日、主の前で静かに心を開く一日となりますように!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

タイトルとURLをコピーしました