空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。
伝道者の書1:2-4
人は働く事を避けて生きていく事はできません。
「働く」と言う事に、人生の時間の多くを使わないといけないのです。
だから、「何をして」働くかを重要視します。
自分の人生の多くの時間を意味がある事で過ごそうとするのです。
自分の好きな事。自分が得意な事。自分がワクワクする事。自分にとってプラスになる事。自分がステップアップする仕事。
出来る限り、自分が納得がいく職を手に入れ、充実した時間を過ごそうと努力します。
願い通りの仕事を手に入れる人。手に入れる事が出来ない人。条件だけで選んだ人。
どの様な人も、毎日100%満足して過ごせないのです。
「願い通りの職」を手に入れたとしても、思い通り上手くいかない事もあり、仕事にストレスを感じたり、仕事が嫌になる瞬間もあります。
自分のしている仕事が無意味に感じる事もあります。
それは仕事だけでなく、希望の学校に進学しても、愛する人と結婚しても、家庭でも起こるのです。
教会の奉仕や自分が望み選んだコミュニティーでも同じです。
全ての人がストレスフリーを望んでいるのに、ストレスがないコミュニティーがないのです。
どうしてでしょうか。
もともと仕事は「生計を立てるために従事するもの」であり、職を通して社会を作り上げていくのです。
利他的なものであるべきです。
しかし、私たちは仕事や属するコミュニティーから、もともとは全く関係のない「自己への評価」を得ようとするのです。
自分が人の上に上がろうとするのです。
同期より早く出世し、良いポストに就く事で満足するのです。
学校の中でも自分が好む位置に立つ事で、学校生活が有意義になり、軽く見られあしらわれると学校生活は楽しくなくなるのです。
どこに属しても、皆が自分が上に上がろうとする競争社会なのです。
人生で多くの時間を過ごす仕事や学校が、自然と「自分の価値を決める場所」となってしまうのです。
職場で認められ評価される日々を過ごすと、毎日が充実しているように感じるのです。
反対に、虐げられる日々が続くと、生きる事が辛くなり苦しい人生だと感じるのです。
両者とも、仕事に学校に重きを置きすぎているのです。
私たちは、神さまから得ないといけない「自分の価値」を、仕事やコミュニティーの中から得ようとしてしまうのです。
自分の価値、アイデンティティー、生きる喜び、充実感、満足感、感謝する心、生きる意味・・
これらは主から得るものです。
しかし、私たちは、仕事からくる息苦しさや落胆、絶望感、敗北感を自分の価値だと信じてしまい、落ち込みストレスを受け、生きる事を苦しく感じてしまっているのです。
もし、仕事で成功し、人から評価され順風満帆な人生であれば、人間的には幸せです。努力した甲斐があったと感じ、幸せだと感じながら生きていけるのです。
しかし、その様な人生に「神」は必要でしょうか。
人間にとって「主に出会う」という人生が何よりも重要であるのに、神を求めない、必要としない人生を歩んでしまう可能性が高くなります。
反対に、仕事が上手くいかず、評価も得れない人生・・人間的には辛く苦しい人生です。
人間的には幸せではなくても「神」を必要だと感じる可能性が高いのです。
とは言え、両者とも、仕事から自己価値を求め、間違ったストレス、間違った感情を得てしまっています。
どの様な仕事をするか・・大切です。
しかし、どこのポジションで仕事をするかより、誰と共に仕事をし生きて行くか。の方が重要なのです。
「どこで何をするか」より「誰と共に生きているか」です。
今日も、キリストを選んでください。
自分が属するコミュニティーに、間違ったものを求めていないか、立ち止まり考える一日となりますように。