ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエル人の戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。
Ⅰサムエル17:45
問題が生じたら・・・どうしていますか?
クリスチャンになる前の私は、
一気に不安になり、どの様に対処するのが良いか、情報を集め、今までの経験と照らし合わせ、方法と対策をフルスピードで頭を動かしていました。
あらゆる可能性を考え、思いつく限りの選択肢を想像し、それに通ずる結果を想像し、どの選択が一番合理的か思いを巡らすのです。
また自分が一番信頼できる人に急いで相談をするのです。
火を消すように一刻も早く、問題解決、問題からの解放に集中していました。
クリスチャンになっても、これに変わりはありませんでした。
だって・・問題って私を支配するから。ぞうきんの水をきつく絞るように、逃げ道がなくなり縛り上げらえるような感じがするからです。
クリスチャンになって2年後、韓国に留学しました。
多くの事を学びましたが、一番大きな学びは、「問題に対する態度」だと思います。
留学前までに経験した問題は、ある程度自分に関係がある問題が多く、もしくは他の人も経験するような問題でした。
だとしても、問題とは誰にとっても嫌なもの。
問題が生じた時、「本当に解決できる?」と不安を感じる事も多くありました。
しかし、韓国で与えられた問題は「私が日本人である」という点でした。
歴史的な問題を問われるのです。
来る日も来る日も、色々な人に責められるのです。(相手は責めてるつもりはないかもしれません)
これは・・・私一人で問題解決を望むのが不可能です。変に一言返したら、もっと大変な事になるのは目に見えて分かる事です。
韓国に3年半いたのですが、休む間もなくどこに行っても責めら、「日本も日本人も大嫌いだ」と言われるのです。
これを通して、私は主に凄く学びを得ました。
問題が生じたら・・自分の頭で対処方法を考える事を辞めるという事です。
自分の頭で解決方法を模索するという行為・・
これは、自分で解決しようとする行為です。
そうではなく、問題が生じた時、
自分の頭で考える前に、主に祈るのです。
問題の大小関わらず、どの様な問題も同じです。
自分の頭で対処方法を考え抜いたとしても、所詮、私の頭のレベルの答えしか出せないのです。
幼いダビデは、信仰でゴリアテに勝利したのです。
鍛え上げられた軍人ゴリアテに対し、幼いダビデに ”よろい” や ”かぶと” ”剣” を与える・・これが人間の対策方法に対する発想の限界なのです。
私より遥かに主は偉大な方なのです。
私たちにとって問題は、本当に嫌なものです。
私は今も嫌です。
しかしどの様な問題であっても、それは「主からの語りかけ」なのです。
問題が、主が与えられたものなのか、悪からくるものなのかは分かりませんが、どちらにしろ、主が許され、私の身に降りかかっているものなのです。
主は全てを益に変えて下さる方。
とてつもなく解決不可能だと思える問題であったとしても、幼い子どもの問題であったとしても・・・
主にとっては同じなのです。
主にとって難しく解決しにくい問題など存在しないのです。
問題が生じ、心奪われ意気消沈している姿・・これを見て喜ぶのは誰でしょう・・
私たちは、主を信じる!という事を常に選択するべきなのです。
私たちを悩ます問題・・
これは主の祝福です。主の愛なのです。
「こんな祝福嫌だ・・こんな愛なんて・・」と思われるでしょうが・・
間違いなく祝福であり愛なのです。
主は、私たちに語りたい事、教えたい事が沢山あるのです。
「もっと成長して欲しい」
「もう一歩、主の目で物事を判断出来るようになって欲しい」
「もっと癒しを経験して欲しい」
「もっとあなたの主が偉大であると体験して欲しい」
「もっと私の愛を感じて欲しい」
「もっと私の痛みを知って欲しい」
「もっと私を近くに感じて欲しい」・・・
主が私たちに「もっと・・」という思いを持たれているのです。
何もない平穏無事な日常では、私たちは主を求めないのです。
求める事を忘れるのです。
主は求める者に与えて下さる方なのです。
問題に出合ったら・・自分の頭をフル回転させる前に、まず祈る・・
主に依る解決を求める。
祈り解決すれば、信仰は強められるのです。
そして忘れてはならないのは、問題が解決した時・・主がどのように働かれたのか整理する事です。
問題が過ぎ去り「良かった・・・」で終わっては凄く残念です。
そこに主の語りかけが含まれているのに、一番大切なことを手に入れずに問題だけをパスすれば、「凄くしんどかったけど、なんとか切り抜けれた」で終わってしまうからです。
主がどの様に働かれたのか、自分の中で振り返り、教会や友達と分かち合い証しする事が大切です!
証しすることが、主の栄光を現す私たちの役目だからです。
今日も、まず主の前で祈ってから一日をスタートして下さい!
恵み多き主日となりますように・・