すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイ11:28
先日、小さな男の子が駄々をこねて、道端に寝そべっている姿を見かけました。
隣にはパパとママがいらっしゃって、困り果てた感じでした・・
時々、こんな光景見かけますよね。
この小さな男の子を見ながら思い出した事があります。
長男がまだまだ小さい時、夫と私、長男の3人で近くの公園に遊びに行きました。
沢山遊んで、そろそろ皆が帰ろうとする時刻・・
長男と同じぐらいの小さい男の子が、道端に座り込み駄々をこねていました。
どうやら、遊び疲れた様子。パパさん一人で公園に連れて来ていたようで、「パパが抱っこしてあげるから!」と言っても、疲れが勝っているのか、益々泣いて起き上がろうとしない様子。
パパさんが困り果てていました。
私が近寄り、「ぼく、どーしたの? 疲れちゃった? あっちのパパにおんぶしてもらう?」と声を掛けました。
小さい子もパパさんも「あっちのパパ?」と言った顔つきで私が指さす方を見ました。
私の夫は、私が言ってる事が自分の事だと分かり、「おいで!おいで!」と手を広げました。
それを見た男の子は、ちょっと驚いた様子で自分のパパに隠れるように抱っこを求めました。
そしてパパさんが「じゃ、パパが抱っこしようか」と言い、その子はパパに抱っこされ帰って行きました。
忘れかけていた一瞬の記憶・・・どうして思い出したんだろう・・と考える内に・・
あーーー私たちは、自分のパパが一番良いんだな。と思いました。
知らないパパではなく、自分のパパが一番安心なのです。絶対に自分を守ってくれると分かっているのです。
完全なる信頼があるのです。パパも自分の子は一番なのです。何をしても駄々をこねても、寄り添う事を選ぶのです。
子どもが高熱を出し苦しんだり、何か身の危険にさらされたりしたら、健全な親であれば「自分が代わってあげたい」というのが親心です。
実の父と子の関係はこの様な関係なのです。
互いに信頼関係が根底にあり、子は反抗期を過ごす事があったり、よそ見をする事があっても実の父が絶対的だと分かっているのです。
私たちが疲れ果てた時、もう前に進めなくなった時、全てが嫌になった時、自力で立ち上がれなくなった時・・・
私たちを助けて下さるのは、私たちの父だけなのです。
他のパパではダメなのです。(他の物や趣味、人の助言、自己啓発など)
私たちは時に、主以外に癒しや、やる気を得ようと試みる事があります。
もしも、公園で会ったあの小さな男の子が、何の迷いもなく、他のパパ(私の夫)に抱き付いたら・・パパさんショックですよね。
私たちの父も、同じだと思います。
私たちが、とても嬉しい時、とても悲しい時、なんか寂しい時、とてつもなく辛い時、孤独を感じる時、病の時、泣きたい時・・・
私たちの父も、私たちが他のパパに助けを求めるのではなく、本当の父に近寄り、助けを求めて欲しいと思われています。
私たちの父は両手を広げ、私たちが100%、委ねるのを待っておらます。
今日も、私たちのパパである主にだけに寄り頼み、歩みましょう!
主の恵みに満たされた1日をお過ごしください!!