『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイ25:40
独身の時、海外のアウトリーチ(伝道旅行)に行った事があります。期待を膨らませ、ワクワクした気持ちで参加しました。
しかし実際に現地に到着して、想像以上の貧しさや不衛生さを目の当たりにし、ショックを受けました。
そして一緒に行った人たちも、私の心も「自分の貯金や、持ち物を売って、この人たちに分けたい・・」という思いが生じました。
そして、アウトリーチを終え、日本に帰国し自宅に帰ると、荷物の整理、洗濯に忙しく、次の日からは仕事が始まり、気持ちも慌ただしい日常に戻るのです。
私の「この人たちに自分の物を分けたい・・」という気持ちは、時間と共に薄れていくのです。
また、去年の2月。
久しぶりの友達に会い、楽しい時間を持てました。その帰り、ウクライナとロシアの戦争のニュースをスマホで見ました。
恐ろしさを感じ心が重くなりました。すぐに懸命祈りました。時間が経つにつれ、次から次へとニュースが入ってきます。
今、この瞬間、苦しんだり怪我をしたり、大切な人を失ったりしている人がいるんだと思うと、何とも言えない思いにかられました。
そんな時、韓国にいる長男からラインが入りました。
長くに渡り、困っていた事が上手く解決できそうだという内容でした。ホッとして何度もラインのやり取りをしました。今、どういう状況なのか。
主がどの様に導いて下さったのか・・主が長男と共に居て下さると感じる事ができ、心が満たされました。
そして、私は帰宅し、何時間も経ってから、テレビのニュースで戦争の状況が見ました。
「あ・・忘れてた・・💦」
あれ程ドキドキして心が痛んだのに、すっかり忘れていたのです・・・
人の心は移り変わりが激しいです。また目の前にある状況により自分の気持ちも上がったり下がったりします。
私たちの心は、誰かの困難よりも、自分が楽しい方、安心を感じる方、満たされる方に、直ぐ簡単になびくのです。
いつも自分に集中してしまうのです。
世界で何が起こっていようと、隣人が苦しみの中におろうと、それに心を寄せるのは一瞬です。
とりなしの祈りより、直ぐに自分の願いの祈りを懸命に捧げるのです。
主は貧しいものに施すように私たちに勧められております。
これは沢山の意味があると思いますが、
その中の1つとして、
私たちが主の思いを忘れない為に、主の悲しみ、主の哀れみを忘れない為に、貧しいもの、弱いものに関心と関わりを持ち、助けの手を差し伸べる事を望まれているのではないかと思います。
私たちは、弱いものを見て心を痛めます。その痛みは主の思いと同じだと思います。
主の痛む思いを持ち続ける為に。
主の痛む思いを忘れない為に。
自分ばかりに集中しない為に。
私たちは常に、避けて通りたい所に目を向け、気持ちを共有する必要があると思います。
自分の日常に心が集中しないように、常に弱いものとの関わりが必要だと思います
それはどこかの国の遠い人たちの問題としてではなく、
「主が私に見せられた心の痛み」を、自分の問題として持ち続けれるようになりたいです。
今日も、世界が平和でありますように。
ロシアウクライナ戦争が一日でも早く終わりますように。
病の中に居られる方に、主の御手が差し伸べられますように。
経済的に難しい方に、主の恵みが溢れますように。
1人で寂しい時間を過ごさせている方に、主の愛が届きますように。
過去の罪に苦しめられている方に、主からの罪の赦しと解放を得れますように。
悲しみの中にある方に、主の哀れみが覆いますように。
苦しみの中にいる方に、主の平安と愛が満ちますように。
生きる事に疲れを覚えている方が、主を見上げる事が出来ますように。
日本が、世界が、主の愛で満たされ、主を崇める事ができますように。
私たちは、日々感謝し、主と共に一日をしっかり歩めますように。
いつも心に、主を置くことが出来ますように。
主の思いが私の思いとなりますように。