主から御心を知る方法【マルコ5:25-34】

2023年

ところで、十二年の間長血をわずらている女がいた。

この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。

彼女は、イエスのことを耳にして、群集の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。

「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。

すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。

イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群集の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。

そこで弟子たちはイエスに言った。「群集があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。

イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。

女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

マルコ5:25-34

長血を患った女の人の話です。

教会で何度も聞いている話しです。

この女性の名前は記させていなく、どういった背景の女性かは分かりません。

分かる事は、心も身体もひどく傷いていて、財産もないという状態だけです。

もしかしたら、助けてくれる家族さえいなかったのではないか・・と想像してしまいます。

群衆がイエスさまを見ようと、癒しを得ようと、押し寄せて来ていたのです。

「もみくちゃ」だったかもしれません。

この女性の信仰は立派です。

多くの医者からひどいめに会わされて、財産をすべて使い果たし、病気はかえって悪くなる状態・・

多くの人はこのような場合、諦めモードに入るように思います。

「私はもう治らない」「どーせ私なんて、、」と卑屈になる事も多いと思います。

しかし彼女は「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と思えたのです。

イエスさまの噂を耳にしただけで、その様な考えを持つことが出来たのです。

「この方なら私を癒して下さるかも」と思えたかもしれませんが、「着物に触る」だけで・・という発想は、主への思いの強さを感じます。

そして、群衆を掻き分け、イエスさまの着物を触れるまで近寄ったのです! 「お着物にさわれば・・」という思いが、いかに強い思いだったか、いかに強く癒しを求めていたのかが、彼女の行動を見れば分かります。

イエスさまは「誰が私に触ったのか」と聞かれました。この言葉を聞いてびっくりしたのは1人だけです。信仰を持って触った彼女だけが、ドキッとしたはずです。

他の人にとっては、変な事を言うな・・沢山、触れられてるのに・・と考えます。

イエスさまの「誰が私に触ったのか」という言葉は彼女にだけ刺さる言葉です。

求めている人にしか、主のメッセージは届かない。のです。

求めている人にしか、同じ言葉を聞いても心に刺さらない。のです。

求めている人にしか、なんて事のない一言が、自分にとっては人生を左右させる決断になる。のです。

よく似た経験をしたことがあります。以前のブログに書きました。(この女性の様な強い信仰をもって・・ではないですが)

ユニークな神様② 主を体験できる人とできない人【コロサイ2:6-7】
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。 コロサイ2:6-7 キリス...

祈っている者だけが、何てことない日常から大きな主の返事を貰う事が出来るのです。

誰も気に留めない記憶にも残らない出来事が、人生の大きな決断になるのです。

祈った者だけが分かる「主の合図」なのです。

今年は、沢山祈り、主からの合図を沢山貰おうと思っています。

そう考えるだけでワクワクします。

今日も、主に祈りを捧げる一日をお過ごしください!!

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