しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。
ルカ10:42
もう12月も半分が過ぎました。
今年も、もう僅かです。今年一年を振り返ってみて、どうでしたか?
良い一年でしたか? それとも最悪な一年でしたか?
私は、12月半ばになると毎年することがあります!
一年の振り返りです。どのような一年を歩んだか、時間をかけて1つ1つ思い出すのです。
あんな事があった。すごくあの事で悩んだ。悲しい思いを沢山した。体調を崩した。子どもの成長を感じた。自分の成長も感じた。自分のダメなところを感じた。主に従えた。苦しかった。欲を選んでしまった・・・
沢山の出来事があった一年。どの様に感じ考えた一年だったか思い出し、
次に全体的にどうだったかを考えます。
「最高に良かった!」と感じるのなら良いのですが。
反対に「この一年はイマイチだったな」「最悪だった」「辛い一年だった」など、マイナス的な一年だったと感じた場合は、思い直しをします。
マイナス的な思いが多い場合は、今年が終わる前に、心と思考を整理した方が良いです!!!
聖書を見ると、
イエスさまが人を癒され「決して誰にも知られてはならない」と主のいやしの奇跡を秘密にするようにという時があります。(マタイ9:31、マルコ5:43)
反対に、「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていること伝えなさい」と言われる時もあります。
これは、時代的状況によりイエスさまの言われる事に違いがあるのです。
同じように、
40年間、荒野で歩ませた全行程を覚えなさい。(申命記8:2)と言われている箇所もあれば、
すでに捕らえたなどと考えてはいません。うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進むようも書かれています。(ピリピ3:13)と言っている箇所もあります。
「過去の出来事をすべて覚えておきなさい」と言われている所もあり、反対に「後ろのもの(過去)を忘れるように」と勧めている所もあるのです。
これは、私たちには「忘れるべきもの」と「覚えておくべきもの」があるという意味です。
私たちもこの一年を振り返り、ずっと記憶しておくべきものと忘れるべきものがあるのです。
それを一年が終わる前に、心の整理、心の断捨離が必要だと思います。
来年に持っていくものと捨てるもの。
まず捨てる物・・
誰かに対する否定的な思いや憎しみ、苦々しい思いです。これらを捨てる為に、主に委ねる必要があります。
自分で隣人を許す事が難しくても「主よ。私は自分の力で許す事はできません。でも許したいです。許す力を与えて下さい」と、「許す」という事を決断する必要があります。
また、良くない習慣も手放すべきです。私たちは、不平不満に敏感で、癖のように簡単に自分の口から出てしまいます。
小さな嘘や言いわけ。怠惰な生活(←私)、色眼鏡で世の中を見てしまっている自分。人の長所より短所に目が行く自分。などなど。
反対に、持っていくもの。
主への信仰と感謝です。
色々あった一年の中で、主に感謝出来る事はあるはずです。
難しい局面が多い一年であっても信仰が守られている事。住む家が与えられている事。今日も食事が出来る事。健康が守られた。仕事が与えられている。あの時あの人の一言を聞けて良かった。この本に出会えて良かった。などなど。
何故、マイナス的な事を捨て、良いものを持っていくのか。
マイナス的な思いを持ったまま、新しい年こそ恵深い一年になりますように・・・というのは難しい気がします。
なぜならば、今年一年、辛い事が多かったとしても、良いものも頂いているハズです。良いものに目を向けるのが難しい状態で、新しい年、急に良いものに目を向けるのは難しいからです。
誰であり、良い出来事もあれば、悪い出来事もあるのです。
同じ良くない出来事が降りかかったとしても、すごくダメージを受ける人もいれば、それにダメージを受けない人もいます。
受け取り方の問題です。
最悪な出来事に奮起し、成功の道を歩める人もいます。その人にとっては「最悪な出来事がラッキーな出来事」に変わるのです。
私たちの幸せは、起こったことに左右されるのではなく、どう受け取るかによって左右されるのです。
嫌なことしかない一年だった・・と思う人にとっては、どの様な素晴らしい一年が来たとしても良い風に受け取るのが難しいのです。
今年が終わる前に、自分の心の中の整理をお勧めします!!
私は旅行に行く気分で、心の整理をします。
待ちに待った旅行!
必要最低限の荷物で行くはずです。
荷物が多すぎると旅行は楽しめません。
マリヤのように、あれこれ考えず「良いもの」を選びましょう。
「良いものだけ」をかばんに詰め、出発しましょう❣
今日も主の中で、恵みに満ちた一日をお過ごしください!