怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
エペソ4:26
「絶対にあの人だけは許せない!!」と思ったことはないですか?
一方的に傷付けられたり、いじめられたり、心が深く傷ついた経験がある人は多いと思います。
自分の心の中に、どうしても許せない人はいませんか?
聖書には「7度を70倍するまで許しなさい(マタイ18:21-35)」という個所があります。
もちろん、490回許しなさいと言う意味ではなく・・・ 完全数7の70倍は、「無限大」を意味しています。「無限大に許しなさい。」と言う意味です。
聖書には、許しなさいという聖句が多いですね・・・
これって、とびっきり難しいですよね?
「こんなに傷付けられたのに」「あの人のせいで自分はボロボロ」「人生が辛いものになった」「いつも心の底で傷がうずく」「苦しみから解放されない」
「イエスさまが私の罪を許されたように、私たちも人の罪を許しましょう」っていうけど、、、だけど「そうですよね!分かりました!」と、主に返事するのは、難しい・・・
だって、傷は深く長く私を支配し、私を苦しめているから・・・
そう思った事はないですか?
私はそう思っていました。
でもね。「許す」って凄い事なんです!!
怒りや復讐心を強く持つと、自分が損をします。 自分の肉体も霊的にも病気になってしまうのです。
心は痛みと悲しみで一杯になり、肉体も病み、霊的にも大きな損害を受けます。
また復讐心は罪を引き起こします。
絶対に自分に非がないと思っても、悪に対して悪で返してはいけません・・・
人が人に、復讐してはいけないのです。
怒りのベクトルを、他の悪に向けるのもダメです。
イジメられてたから、ストレス解消の為に万引きをする。上司のパワハラのストレスで、自殺をする。レイプにより、中絶する。毒親にされたことを、自分の子どもにする・・・
悪に対して悪で答えても、受けた悪はなくなりません。自分の悪が残るだけです。
主は、私たちを復讐心で一杯にした心を解放したいと思われているし、癒したいと思っています。
「人を許す」とは難しいですが、とてもとても重要です。
復讐からは、愛は生まれません。復讐からは、生まれるのは罪だけなのです。
自分の傷ついた肉体、心、霊の癒しは、相手を許すことから始まります。
相手を許す事だけが、唯一、私を苦しみからの解放するのです。
こんな事を考えたことはないですか?
私が苦しんだ深さと同じ深さの苦しみを相手が苦しみ、私が苦しんだ時間と同じ長さの時間、相手も苦しんで欲しいと。
私たちは、自分の傷がうずくと自分の傷ばかりクローズアップしてしまいます。
しかし、自分の苦しんだ深さ、自分が苦しんだ同じ期間、相手は霊的に苦しみを受けています。
私は、こう思います。
私を苦しめた人を「許す」とは出来ない事です。傷が多きれば大きいほど。
しかも、相手が謝り、許しを求めるという手順も踏まずにこちらから先に許すなんて・・・
だから・・・「許す」と決める事が第一歩です。
ある日突然、自分の傷を無かったことには出来ません。
しかし、いつまでも深く長く苦しみの中で生きるのは辛すぎます。自分を解放してあげて下さい。
「悪を働いた人を許して、自分も解放されたいです。許す力をください。」と祈ってみることをお勧めします。
許しというのは、外面的な行為ではなく、恵みにより内面に起こるものです。
許すとは、無かったことにするという宣言ではないです。
心では、許せなくても「許したい」と祈ってみるのです。「許せるものなら許して、自分を解放して欲しい。許す力を下さい。」
自分の力で、許すことは難しいし、出来ないと思います。
是非、主に依り頼み、人を許す力を得て下さい。
心に、どうしても許せない人が居る方は、是非、祈って下さい!!
一日も早く、傷から、復讐心から解放される事をお祈りします!!