主が私たちに望まれていること【ヨハネ21:15-17】

2022年

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」

イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

ヨハネ21:15-17

聖書を読むと、人を「羊」として例えられています。

羊の特徴として・・

➀羊はよく迷う動物です。

羊はあまり賢い動物ではないようです。その時その時の瞬時の判断で行動してしまうようです。

走り出したら止まる事なく、その先に道がなく、崖から落ちて死ぬこともあるようです。

②羊は怖がりです。

羊は川のように流れた水など、怖くて近寄れず、溜まった水しか飲めないそうです。また、ちょっとした物音にも敏感で怖くなり逃げてしまうそうです。

③群れで生きる事に安心感を覚える。

羊は群れから引き離されると多大なストレスを受けるようです。ストレスや試練を感じるとたちまち精神的に弱ってしまうようです。

このように、弱く怖がりな羊・・

しかし羊の中にも、時々「やんちゃな羊」も存在するようです。

群れから離れては生きていけない動物なのに、柵から超えて群れから離れようとする羊がいるようです。(ちょっと可愛い)

羊飼いは、やんちゃ羊をそのままにしておきません。群れから離れては死んでしまうのが目に見えて分かっているからです。

羊飼いはどうすると思いますか?

やんちゃ羊の足を1本折るのです💦💦

羊飼いは、足の骨が折れて動けなくなったやんちゃ羊の足に添え木をし、そして常に羊飼いが、やんちゃ羊を抱え、一緒に過ごし話しかけるそうです。

抱いて食べさせ、抱いて水を飲ませ、完治するまでずっと抱いて過ごすのです。

そうして、やんちゃ羊は、羊飼いの声を覚えるのです。

完治する事には、やんちゃ羊は、羊飼いの声が分かるようになり、「止まれ!」というと、止まるようになり、「こちらに来なさい!」と言うと、来るようになるそうです。

羊飼いの声を聞き分けれるようになるのです。

そしてそれだけではなく、完治した時には、

やんちゃ羊は、群れの中で良いリーダーに成長するそうです。

やんちゃ羊は、他の羊より羊飼いをよく知っているのです。

自分の羊飼いは、愛情深く、信頼できる人であり、自分の命を守ってくれる人である。

自分の羊飼いの声を、誰よりもよく聞き分ける事が出来るようになり、

羊飼いの言葉に常に耳を傾けるようになるのです。

羊飼いのもとで過ごし、羊飼いの声に聞き従う事が、自分の命に有益だと知っているのです。

羊飼いがやんちゃ羊の足を折るのは、羊の命を守る為なのです。

聖書を見ると、私たちは羊であり、主は羊飼いです。

時に主が、私たちの足を折られるようなことをされる事があります。

これは・・主の愛です。

「主の聖さ」を教える為なのです。

主が与えられる試練は、私たちにとって喜ばしいものではなく、悲しく辛いものです。

しかし、「これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」と聖書に約束されています。(へブル12:10-11)

主の訓練・試練は、主の愛なのです。

私の魂が、主を記憶できるように。

決して道に迷う事がないように。

平安な義の実を結ばせる為なのです。

また、主は私たちの「やんちゃな部分」を通して、用いて下さるのです。

やんちゃな部分とは、自分へ過信が強く、自分でやってみよう!という強い思い。とりあえず自分で動いてしまう性格。

また、「欲」「自我」「不足な部分」「罪」と置き換えれると思います。

また、少し逆な捉え方も含まれていると思います。

自分にとってやんちゃな羊・・つまり、ちょっと手を焼く人、私の枠からはみ出してくる人、付き合いにくい人・・・

羊飼いがやんちゃ羊を愛したように、自分にとってのやんちゃ羊に、特別な愛を注ぐことを主が望まれている様に思います。

イエスさまは、3度知らないと言ったペテロを許し癒すために会いに行かれました。

ペテロは自分の信仰の弱さ、主を知らないと言ってしまった事に対する罪悪感、自分への嫌悪感などを抱え、

弟子ではなく、以前の職業、漁師へと戻ってしまっていたのです。

主はそのようなペテロの心を察し、許しと癒しを与えられ言われた言葉・・・

「わたしの小羊を飼いなさい。」

3度、言われています。

私たちは主の羊です。羊でありながら、子羊を飼いなさいと言われています。

主がペテロにされたように、

愛して、育てなさい・・と言われているのです。

主の愛だけが、やんちゃ羊の心を開き、主の良きしもべへと変える事が出来るのです。

まず・・・頭に浮かんだやんちゃ羊を愛する事が出来るように、祈りから始めたいと思います。

今日も、主と共に歩み、祝福を感じる1日をお過ごしください!

 

PS. 私の頭に浮かんだやんちゃ羊たち・・・

その中に、やたらと大きな声で「メーメー」と鳴いて自分を主張している、次男の顔をした羊が一匹いるのを発見!

その隣に静かに私にお尻を向けてる羊が・・

顔を見ると・・夫でした・・

家族ってこんな感じですよね💦

長男羊もいるはずですが・・私の視野から隠れてるように思います・・

・・・3人が普通の羊で、私がやんちゃ羊なのかもしれません・・・💦

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