もし、キリスト教に「祈り」がなかったら【マルコ1:35】

2022年

さて、イエスは朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

マルコ1:35

私たちはどうして祈る必要があるのでしょうか?

祈っても祈らなくても、主は私の心を、私以上に知っておられるはずです。

祈る必要があるのでしょうか?

聖書には、祈りを勧める個所が沢山あります。

イエスさまも、よく天の父に対して祈って居られました。いやしを求めて人が集まってきている時にも、身を避けて祈る時がありました。今日の御言葉の様に、朝早く、寂しい所に行かれと言うのは、多分誰も人が居ないという意味だと思います。そして祈る時間を取られたのです。

イエスさまでさえ、天の父なる神様と交わっていたのです。イエスさまと天の父の神さまなら、本当に互いに意思疎通が出来るだろうし、お祈りが必要なのでしょうか?

もし、キリスト教がお祈りがなかったらどうでしょうか?

お祈りとは主との交わりの時間です。主との交わりが無くなるのです。

お祈りがないキリスト教は、仏教や神道、その他の宗教と同じになりませんか?

キリスト教は他の宗教と違う大きな点は、何か知っていますか?

神さまの方から、私たちを愛してくださっているという事です。他の宗教は、神と人間の関係です。

キリスト教は、神の方から人間を愛してくださり、単なる神と人間の関係を超えて、人格的な交わりを求める神さまなのです。

好きな人はいますか? 大切な人はいますか? 恋人でもいいし、夫、妻、子ども・・もしかしたら年老いた親が恋しく愛おしく感じるかもしれません。

自分が大切で大好きな人と、どの様に過ごしたいですか?

時々、話をしたいですか? お互いに顔を見ず、必要事項だけ報告したいですか?

大切な大好きな人とは、ずっと一緒に時間を過ごしたいと思うだろうし、もっと相手を知りたい、自分の事も知って欲しいと思うはずです。

自分のいのち以上に、大切で大好きな子どもに対してはどうですか?

特に小さいうちは子どもが話さなくても、何を求めているのか、どうしたいのかって親は分かります。でも子どもの口から聞きたいですよね。つたない言葉であっても、一生懸命話て欲しいですよね。それが間違えた思いであったとしても、自分の気持ちを素直に話してくれれば、どうしてそれが間違えているのか、ゆっくりと納得がいくまで、話してあげたいと思いますよね。

大切で、愛しているから、交わりたいのです。時間を沢山共有したいのです。

また、夫婦って結婚して時間を共に過ごすと、似てくると言います。不思議ですよね。

結婚した時は、そんな風に言われることがなくても、似てくるというのは、それだけ、その夫婦が互いの時間を共有したから、「似て来たね」と言われるのです。

私たちも、主と共に過ごす時間の積み重ねで、主の似姿に変えられて行くのです。

主の似姿に変えられるのですよ! 祈りは・・・!

主は、私たちと交わる時間を持つことを切に求めておられます。

主は、私たちの事を大好きで、大切だと思って下さっているから・・・

祈る事を始めましょう!!

主と時間を共に過ごし、主の似姿に近づけるようなクリスチャンになりたいです。

今日から、祈りを始めましょう!

勿論、イエスさまの様に、朝早く心を静めて祈る時間を持つことも大切です。

しかし、瞬間瞬間、祈って過ごすというのも、凄く大切です。

心の中で主と会話をするのです!

今日から、祈りを始めましょう!

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