主は、私たちの発想と真逆です【マタイ16:24-26】

2022年

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

マタイ16:24-26

キリスト教って、イエスキリストって、不思議です。不思議であり、怖いなとも思います。

どうして「怖い」と感じるかと言いますと、

主は、「人間の発想と真逆の事」を語る時があるからです。

私たちにとって、今日の聖書の個所は「人生には逆説がある」という事です。

私たちは、多くの人が上を目指して生きています。一度しかない人生を、より豊かなものにしたい。

成功を治めたい。有名になりたい。尊敬されたい。役に立つ人間になりたい。勝ち組に入りたい。贅沢したい。自由に生きたい。

そう思い、高みを目指す人は、普通の人以上に努力をするのです。ある人は寝る間も惜しんで、仕事をしたり勉強をしたりします。親も子どもの将来を案じ、子どもが成功の人生を歩めるように、高い学歴を目指させたり、習い事に力を入れるのです。

多くの人は、「幸せな人生を歩む」為に努力しているのです。

これらは、多くの人たちが普通に考える事ができる「最善の選択」ではないでしょうか?

しかし、主は私たちの「最善の道」とは違う道を示されています。

 

人生を旅行に例えたりします。

私たちは旅行へ行く時、皆が決まって考える事があります。

何を置いて、何を持って行くか。どこへ行くか。です。

家にあるもの全てを持っていく事は不可能なように、やって見たいこと全てを出来る訳ではなく、時には捨てる必要もあるのです。(寝る時間を削って勉強するとか) 必要と考えるものだけを選んで持って行きます。目的地を決めて。

今日の御言葉を見ると、本当の人生の旅路を歩むためには「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」とあります。

つまり、置いて行くべきもの、捨てるべきものは、「自分へのこだわり」です。これを握り締めるのを止め、手放しなさい。置いてきなさい。それらは旅路の邪魔になるから捨てなさいと言っているのです。

次に持って行くものは「自分の十字架」です。自分の十字架とは、自分の罪を背負うという意味ではないです。「主の御心に従順に歩む」という事です。

どこに行くのか、明確な行き先を示されず「私について来なさい」とあります。

私たちが考える人生の旅路と、主が示されている人生の旅路は、基本的な部分から違うのです。

25節「いのちを救おうと思う者はそれを失い」・・・自分の人生を大切にしたつもりで、生き甲斐のある人生を過ごしたつもりで、成功した人生・価値ある人生を生きたつもりで、、、実は、人生で一番大切にしなければならなものを失っているのです。

「わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」・・・私(イエス・キリスト)の為、「いのちを失う」とは、必ずしも文字通り死ぬこととは限りません。

自己中心を捨てて、自我への執着を捨てて、あるいは、今までこれが人生で大切なことだと思って、大切に握り締めていたものを、一旦自分の手から離して、イエス・キリストに手渡してみると、実は、「それを見出すのです。(見つける事が出来る)」

・・・あれほど求めて、手に入らなかったものが、実はそこに、イエス・キリストの所にあった、と気付くと主は教えられています。

これは、多くの人たちにとっては、逆説です。

26節「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」

実際に、全世界を手に入れるほどの成功を収めように見えても、一番大切な「まことの命・本当の人生」・・・を失っていると、誰でも、愕然とします。

その時には、何とかしてそのまことの命・永遠の命・本当の人生を取り戻そうと思っても、人間にはたった一度の人生しかありません。

もう何も差し出すものが残っていない。そういう恐るべき事態が、誰の人生にも有り得るのだというわけです。

・・・聖書は、全ての人が、主の御前で自分の人生に対する「最後の審判」があると書いてあります。自分の今までの人生を、主によって正当に清算されるのです。

この世で、大きな成功をおさめても、「永遠のいのち」は、キリストによってのみ与えられることを心に留める必要があります。

死を忘れた人生は、物事の本当の価値を忘れた人生になります。

死を忘れてはならないのです。

昔、ある王様が、奴隷の一人に役目を与えました。それは、毎朝、王様に向かって、「王様、あなたもやがて死ぬべき人間であることを今日もお忘れになりませんように」と告げる役目を与えたそうです。

自分の栄誉や富、名声は、永遠に続くものではないと、心に銘ずる事が出来る王様。

その様に私たちも、今ある現状だけでなく、永遠のいのちに向かって歩んで行くべきですね。

今日も、主の中で豊かにお過ごしください!

今日も、主を選ぶことが出来る一日となりますように・・・

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