聖書を読む必要性【Ⅰテモテ4:13】

2022年

私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。

Ⅰテモテ4:13

 

私たちが主を知る方法は、2つです。

1つ目は、この世界の被造物を見て、そこから創造主を感じるという方法です。もう1つの方法は、聖書を読むという事です。

今日は、「どうして聖書を読むのか」について分かち合いたいと思います。

 

私の知り合いで、50歳過ぎで癌で亡くなられたお母さんがいます。 その方の下のお子さんがまだ中学生でした。始め、癌だと聞きもう手遅れかもしれないと連絡を受けた時は、とてもショックでした。

自分の死についても考えました。もし、ある日突然、死を目の前にしたら、どうするだろう。まず、私は何をするべきだろう・・・ その時、自分の子どもは上が中学生、下は小学校低学年でした。

死ぬまでに何をしたいという思いより、死ぬ前までに子どもに何を残せるのか、という事ばかり考えました。 今、死を前にしたら、もちろん、死ぬその日まで、主の前で祈るだろうけど。それ以外何が出来るんだろう。 私は何をするべきだろう。子どもが高校生、大学生になるのを見れない、成人式も祝えない。子どもが二十歳になった時の姿を想像すると涙が流れます。 子どもの結婚式も見れない。奥さんになる人にも会えない。孫にも会えない・・ 色んな事を考えれば考えるほど、悲しくなりました。

15歳の誕生日、16歳の誕生日・・・と1歳ずつお祝いのメッセージビデオを残したいな。結婚する相手の女の子にもメッセージを残したい。結婚式の時、子どもを授かった時や、孫にも残したいし、辛い時に見るメッセージビデオも残したい。嬉しい時のも残したい。初めて彼女が出来た時のもの。大好きな人に振られた時のもの。大きな失敗をした時のもの。 あんな場合や、こんな場合の時、、、見れるメッセージを沢山残したい・・・と思いました。

私が居なくなっても、幸せで生きて欲しい。いつまでもいつまでも、愛してると伝えたい。天国で必ず再会したい。信仰を無くさないで欲しい。幸せで生きてくれることを何よりも望んでると、何度もメッセージで伝えたいと思いました。

皆さんはどうですか?

もし、ある日突然、死を目の前にしたら。 お子さんが居る方なら、私と同じような気持ちになるのではないでしょうか。

主も同じです。

私が、愛する子どもに残したいメッセージビデオは、主にとっては「聖書」なのです。

主がこの世を去っても、私たちの事を思い、沢山の言葉を残して下さったのです。

聖書は、まさにラブレターであり、遺書でもあると思います。 主が私たちに、絶対に伝えたいことが聖書に書かれているのです。

聖書には、何度も、「平安でいなさい」「喜んでいなさい」と書かれています。

主が、心から願われていることではないでしょうか?

また、聖書には人間の失敗が沢山、記録されています。人間の習性を学ぶためではないでしょうか。

私たちを愛するがゆえに、立派な信仰の理想像だけの話を聖書に残すのではなく、人間は罪に弱い存在であり、誘惑にも弱い人間である姿を、ワザと沢山記録されているのではないでしょうか?

 

もしも、私が生前に残したメッセージビデオを、子どもが「えー-また同じような話でしょ・・長いし・・今回は見なくていいかな~」と言ったらどうでしょうか?

私は、子どもを想い、言葉を選び、必ず伝えたいと思っている事を残したとしても、子どもが見てくれない限り、私の思いは子どもには伝わらないのです。私の愛も伝わらないのです。

聖書も同じです。主が残された聖書を、私たちが読まないと、私たちは主の愛を感じる事が出来ないのです。

聖書には、私たち人間にとって必要な事しか書かれていません。

良く分からないと言われる個所も沢山あると思います。 分かる部分から読めばいいのです。

聖書は、主がどうしても伝えたい事。どうしても分かって欲しい事。どうしても覚えていて欲しい事、が書かれているのです。

今日、聖書を読んでみましょう!

恵み深い一日となりますように!!

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