どうして「目に見えないもの」に目を留めるのか【Ⅱコリント4:18】

2022年

 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

Ⅱコリント4:18

 

日々、肩の力を抜くことが大切だと思います。

今ある現状、今置かれている状況、目に見える問題・・・

心を奪われてしまっていませんか?(私は良く心を奪われます・・)

私たちは目の前の状況に、心を奪われ、支配され、目に見えるものを重く受け止めすぎるのではないかと思います。

見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めるべきだと聖書にあります。

 

時折、肩の力を抜いて、主が今も私と共に居て下さると確信する習慣が必要だと思います。

目に見えるものは、自分の領域に境界を引きます。

限られた狭い中で限界を作ってしまうのです。

「これ以上できない」「どうする事も出来ない」「これが限界」「もう無理」

これでは、自分が苦しくなるだけです。追い詰められるだけなのです。

目に見えるものに心を向けると、自分で自分を追い込むことになります。

 

自分の領域より、遥かに広い主の領域・・・

主には限界がありません。不可能もありません。

私たちは直ぐに忘れてしまい、直ぐに目に入るものに心を奪われてしまうのです。

 

だから、時折、リラックスする時間を設け、思い出しましょう。

主の領域は広大で、限界がない。自分には不可能に思えても主にとっては問題ではない。

肩の力を抜いて楽になりましょう。

この世で感じる重荷を、自分一人で背負い、苦しい日々を過ごさないように気を付けましょう。

主は、私たちと共に平安に暮らすことを望まれています。

自ら苦しく難しい道を歩まないように・・・

今日も、目に見えない主を見上げ、目に見えない主に心を捧げて、楽しく過ごしましょう!

祝福ある一日となりますように!

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