どうしたら主を体験できるんだろう?【黙示録3:20】

2022年

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

黙示録3:20

 

子どもが、約100種類の仕事やサービスと体験し、社会の仕組みを知ることが出来る施設「キッザニア」の創業者である、ハビエル・ロペス氏が、東京で開催された「ワールドマーケティングサミット2016」でプレゼンをされました。その中に「記憶」についてこのような話をされました。

■人が一般的に覚えている確率 (メディアチャネル)

  • 文字を読む行為では10% (新聞、雑誌、メール)
  • 言葉を聞く行為では20% (ラジオ)
  • 視覚で見る行為では30% (テレビCM)
  • 聞くと見る両方では50% (ビデオプログラム)
  • 話したり書くことで70% (インターネット)
  • 体験することにより90% (体験)

「文字を読むだけだと10%の記憶が残るだけであるが、体験する事により90%記憶に残る」という内容です。だから、小さな子供たちに、絵本で世の中の仕事を知る事より、キッザニアへ来て、世の中の仕事を体験してみよう!という話です。

これを記事で読んだ時に「信仰も同じだな~」と思いました。

もちろん、聖書を読むことは凄く大切で欠かせない事だけど、実際に主を体験する方が、もっと身近に主を感じ、主を思い出す事ができるからです。

 

どうしたら主を体験できるでしょうか?

一番大切なのは、求めることです。求めないと体験できないです。 凄く凄く求めることです。主は、「戸の外に立って」たたいているのです。主からは、私の心に勝手に入ってこられないのです。主は私たちが求めるのを待っておられるのです。

また日々のデボーションが大切です。ある日突然、「答えが欲しい。導きが欲しい」と思って求めてもなかなか自分が気付かないです。 私たちも日頃から交流がある仲のいい友達からのお願いは、互いに相手が何を求めているか、汲み取りやすいです。しかし、全く初見の人に何かを頼まれてもコミュニケーションがなかった分、互いにスムーズに事が運びませんし、勘違いが生じる事もあります。

それと、主との時間を取る事。心落ち着けた時間を持つことは必須です。部屋で一人心静め、時間を気にせず祈る祈りが一番大切だと思います。 また散歩しながらもおススメです。 私は散歩をしながら主に良く語りかけます。

それと、「日記」です。これは本当に大切です! 今日どの様に過ごしたか、何を考えたか。何を思ったか。何を祈ったか。祈ってどの様に思ったか。(示されたか)心に残った御言葉。など。全てを記入するのです。

これをしないと、体験したとしても私たちの方で気付かないです。体験したとしても記憶にも残らず、過ぎ去ってしまいます。 私たちは、日々忙しい世界に住んでいます。沢山の事が過ぎ去って行きます。だから祈っていても、直ぐに答えを貰えない場合、時間が少し経てば、祈っている内容さえ忘れてしまうのです。だから、忘れないように日記に書くのです。そうしないと、いくら祈っても、直ぐに答えを貰えないと、時間が経って体験したとしても、それを祈りの答えを体験したと気付かず、「いつまでたっても、主は私には答えをくれない。祈っても何も起こらない」と思ってしまうのです。 日記を書いて、数ヶ月後にその日記を読み直すのです。そうする事により、祈っていた内容、自分が考えていた事などを思い出し、主の導きを感じる事が多いです。

 

突然ですが、ウインドーショッピングは好きですか? 何か買う予定がなくても、気分転換になりますし、けっこう楽しめます。 しかし、ウインドーショッピングは、単なる「心の満足感」です。 実際にお金を払って欲しい物を手に入れた「幸福感」ではないのです。

信仰はどうですか? ウインドーショッピングになっていませんか?

私たちは、他の人の証を聞いて心が満たされます。主の素晴らしさを感じます。しかし自分は、直接体験していません。

洋服やバックなどはウインドーショッピングでも構わないでですが。

聖書に約束されている救いについてはどうですか?

罪の赦し、永遠の命、天の父の愛、必要の備え、奇跡的な助け、導き、体験など・・・それらのものも眺めるだけで満足でしょうか?

信仰がウインドーショッピングになると、「聖書には素晴らしいことが書いてある。でも、現実は…」となってしまいませんか?

今日から、日記を書きませんか? 散歩をしながら主に沢山話しかけて下さい。聖書も毎日読んで、賛美に浸って下さい。

沢山沢山求めて下さい。主は求める者に答えて下さいます!

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