イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにはありません。」
マルコ12:29-31
自分の事は好きですか?
上手くいっている時、成功した時は、自分で自分を認められるし受け入れやすいけれど、
思うように事が運ばない時、何度も同じ失敗した時・・・自分にガッカリしますよね。自分を責めたり、ふがいなく思ったり、みじめになったりしないですか?
自分の事を好きになるって案外難しい事だったりします。
特に、過去にかき消したいぐらいの出来事があったり、嫌な記憶があったありすると・・・
増々自分を愛するというのはハードルが高く感じたりします。
今日の御言葉は、2つの大事な命令が書かれています。
『唯一の主を、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして愛する』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
「主を愛し、隣人を愛する」ではなく・・「あなた自身のように」と書いてあります。
すなわち、人を愛するための前提条件となるものがあるのです。聖書は、「自分自身のように隣人を愛せよ」と教えています。
という事は、「自分を正しく愛する時初めて、他の人をも愛することができるようになる」と教えています。
多くの人は、自分は自分を愛している・・・特に問題なく、自然にしていると思いがちです。
しかし、本当の意味で自分を大切にし、愛していると言えるでしょうか。
自分の良い所、物事がうまくいっている時は愛することはできるかもしれませんが、自分の暗い部分、過去の辛い部分は、無かったかのようにフタをしてはいないでしょうか。
わざわざ聖書が「あなた自身の様に」と書いてあるのは、
イヤな部分の自分をも愛しますか、と問いかけているのです。
自分を正しく愛するとは、
まず『過去の自分を受け入れ和解する』ことが必要です。
自分自身の過去は目をつぶり、忘れて生きようとせず、向き合うことが大切です。
心に大きな傷があるならば、主に癒してもらう必要があります。自分の弱い部分を強めて頂くのです。
過去は過ぎ去るものですが、無くなるものではないです。過去が積み重なって今があるのです。
過去が積み重なって、思考も知識も、信仰も成長するのです。
過去と言う土台を堅固にするべきです。
だから過去の自分を受け入れる事が出来るようになるのが、自分を愛する第一歩と言えます。
人を愛するとは、その人のプラス部分だけを愛するのではなく、マイナス部分、弱い部分まで受け止めないといけないのです。
「自分を愛する」ことも簡単ではないのに、「人を愛する」とはもっとハードルが高く感じます。
どうすればいいのでしょうか?
まず、自分の過去、痛み、傷、失敗、などマイナス部分を、誰かが受け入れてくれてその部分まで愛してくれ、私を肯定してくれれば、自分を許せる方向に心が向くのです。
自分の過去まで受け入れて愛してくれる人・・・イエスキリストですよね!
主の前に、自分で蓋をしていた過去の部分をさらけ出し、主が私を愛して下さるように、私も自分と和解し自分自身を受け入れられるように祈るのです。
ですから、まず、主が私のマイナス部分も愛し受け入れて下さっていると感じ、自分と和解をすること。そうすることによって、隣人を自分自身のように愛する事ができるのです。
私たちの主は、暗闇をも、希望と光を与える源へと変える事が出来る方なのです。