1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」
2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、言った。
3 「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。
4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような主のことばが彼にあった。
5 「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。
6 わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』」
Ⅱ列王記20:1-6
この個所に出てくる「ヒゼキヤ」とは、ユダ国の第13代王です。ユダもエルサレムも長い歴史の中、歴代の王たちは沢山、背きの罪を犯しました。
その中でもヒゼキヤ王は、ダビデが行った通りに主の目に叶う王だったと聖書に記載されています。(Ⅱ列王記18章)
異教の神々を祭る祭壇を破壊し、宗教改革をしたと言われています。しかし、良い事ばかりではありませんでした。
父アハズ王の時代から、ユダ国はアッシリア国の属国でした。ヒゼキヤは独立をする為に主ではなく他国の協力を求めたりしました。 またバビロンの使者が来た時、先祖たちが蓄えてきた宝物庫にあるすべての物を見せ、財力を自慢したりもしました。
そんなヒゼキヤ王が病気にかかったのです。預言者イザヤは「必ず死ぬ」と予言します。
それを聞いたヒゼキヤ王は、大声で泣いて祈りました。
主はヒゼキヤ王の祈りを聞いて下さり、
『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』と主が言われました。
ここで感じた事が2つあります。
1つ目は、ヒゼキヤは今までの歴代の王に比べれば、主を信じる良い王でした。しかし信仰とは「誰々と比べて良い」という評価はされません。ヒゼキヤ王は信仰を持ちながらも、信仰がないような行動をしてしまいました。完璧ではなかったのです。
しかし、心からの祈りで主の計画を変えています。主の心を動かしているのです。
2つ目は、旧約聖書によく出てきます。ダビデの存在です。ヒゼキヤ王にも「私のしもべダビデの為にこの町を守る。」と言われています。ダビデはヒゼキヤ王より250年程前の人物です。
旧約聖書に「ダビデの為に」と主はよく言われています。「ダビデの信仰に免じて」という意味だと思います。
自分の信仰を大切にしないといけないと思いました。一人の信仰者によって国が守られてるのです。しかもその時代の信仰者ではなく昔の信仰者です。 私の信仰も完璧ではないです。また私の信仰が大きなものを守ることは出来ないかもしれませんが、誰かを守れるかもしれません。主が私の信仰を思い出し、心を変えて下さるかもしれないのです。私の切なる祈りにより、主の心を動かせるかもしれません。
信仰は、自分の罪の赦しと天国への切符・・・だけで終わらせてはいけないのです。
自分の家族、友達、同僚、国の為、世界の為にも祈りましょう!!