初めの愛を忘れていませんか?【黙示録2:1-5】

2022年

1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。

2 「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

4 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

黙示録2:1-5

 

黙示録の2章と3章は、

イエス様が使徒ヨハネにお与えた七つの教会へのメッセージが記されています。

以前エペソの町は淫乱や偶像礼拝の蔓延る町でした。しかし神様はこの町を顧みて下さり、そして教会を建てて下さったのです。

主はエペソの教会が、これまでの主の御業を行い続け守ってきたことをご存じでした。教会はいつの時代にあっても、内外からの分裂や迫害などの攻撃を受けてきています。

エペソ教会は、迫害や試練に耐える忍耐力、正しく御言葉を理解する霊的な洞察力、世の中と妥協しない堅実な信仰の実を結んでいました。

しかし、こんなに立派な教会でも、「あなたには非難すべきことがある。」と主は言われます。

 

どうしてでしょうか?

エペソ教会は愛のない冷たい教会だった訳ではありません。ラオデキア教会のように「熱くもなく冷たくもない」教会から見れば、エペソ教会は熱く燃える教会でした。

主がエペソ教会に求められた愛は、「他の教会と比べてまし」というものではなかったのです。

主は、エペソ教会に、より深く主を愛するようになることを、その愛が成長していくことを求めれたのです。

 

エペソ教会は、人の目から見れば、何の問題もなかったかもしれません。しかし、主の目から見るなら、その愛は「初めの愛」から比べてかなり後退してしまっていたのです。数年前まで持っていたあの純粋な愛が、何かの原因で曇ってしまったのです。

 

私たちはどうでしょうか。自分を他と比べて、あの人よりも劣っているからと悲観したり、

反対に、他のクリスチャンより主日を必ず守っている事に安心したりしていませんか?

私は毎日祈っているから、毎日聖書を読んでいるから大丈夫! と思っていませんか?

信仰生活が、単なる毎日のルーティーンの一つとなって安心していませんか?

 

信仰を持って直ぐの時の様な、満たされた思いを、湧き起こる喜び、主への感謝と愛を今日も感じれているでしょうか?

 

主は、昔の歴史上の人物ではありません。今も生きておられるお方なのです。

私たちは毎日、主と交わる毎に新しい喜びを得る事が出来るのです。

 

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