目の前にある利益は本当に利益だろうか?【使徒の働き16:25-40】

2022年

 25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。

26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。

27 目を覚ました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。

28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。

29 看守はあかりを取り、駆け込んで来た、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。

30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。

31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。

33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。

34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

35 夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、「あの人たちを釈放せよ」と言わせた。

36 そこで看守は、この命令をパウロに伝えて、「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。どうぞ、ここを出て、ご無事に行ってください」と言った。

37 ところが、パウロは、警吏たちにこう言った。「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」

38 警吏たちは、このことばを長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて恐れ、

39 自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出して、町から立ち去ってくれるように頼んだ。

40 牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。

使徒の働き16:25-40

 

今日の御言葉は長いですね(笑)

パウロが伝道旅行中、幻を通してマケドニアへ導かれました。そこで占いの霊につかれた若い女の奴隷に出会い、パウロはその女から霊を追い出した。この女奴隷の主人がお金儲け出来なくなったのを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えた結果、パウロとシラスは牢獄へ入れられた話です。

今日、この個所の御言葉を読んで改めて思ったことがあります。

「目の前に自分に利益があるものがあって、それを自分の手に入れる事が出来る状況であったとしても、それは必ずしも、手に入れる事が良いかどうかは分からない」という事です。

 

例えば、26節で、突然、大地震が起こり、牢獄の扉が全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。とあります。パウロとシラスは理不尽にもムチ打たれ投獄されたのです。牢獄の環境は最悪です。誰もが、一刻もそこから出たいと思う環境だと思います。

パウロの目の前に、牢獄を脱走できるチャンスがありました。しかしパウロとシラスは脱走するという選択をしませんでした。

パウロらが脱走しないことにより、看守の命を守りました。囚人が脱走すると、その囚人に課せられていた刑罰を、看守が受けるのがローマの法律でした。だから看守は自殺を図ろうとしたのです。パウロたちの選択が看守の命を守っただけでなく、看守の家族まで主の救いを授かることができました。もしも、パウロたちが、目の前に与えられた脱走という事を選択していれば、看守は命を落とし、その家族が救いを授かることはできませんでした。

 

35節 長官たちは警吏たちを送って、「あの人たちを釈放せよ」と言っています。看守がその旨をパウロに伝えました。わずかでも早くそこからは去りたい場所でありながら、パウロはそこを立ち去りませんでした。37節「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」

パウロとシラスは目の前に、牢獄から直ぐに出れる権利がありながら、それを選ばなかったのです。

少しでも早く立ち去りたい場所でありながら、そこに留まり時間をかけて出るという事を選択しました。それを選択する事により、多くの人にパウロとシラスが、イエスキリストの伝道という行為が訴えられる行為ではないという証となったのです。公に伝道できるようになったのです。

もしも、直ぐに牢獄から出ていたら、パウロに好感を持っている人たちは喜んだでしょう。しかし伝道と言う視点から見ると、目の前にある牢獄から直ぐに出れる方を選ばないというのが良かったのではないでしょうか?

目の前に、自分にとって良いものがあり、それを手に入れても良い状態であったとしても・・・

「やったーラッキー!」と直ぐに手を伸ばしてはいけないのです。

まず祈るべきだという事です。

自分の目に利益に見えたとしても、主の目には違って見えてる可能性が大きいです。

本当に目の前にあるものが、主の目から見て利益があるものかどうか見極める必要があるのです。

だから、自分で勝手に「やったー!ラッキー!」として直ぐに手に入れようとせず、まず祈りましょう!

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