あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
伝道者の書7:16
私はこの御言葉を初めて読んだ時、ビックリしました。
どうして「正しい」ことがいけないんだろう?
もちろん、人の「正しさ」が、必ずしも本当に正しいとは限らない。
自分では正しいと思っていても、
実は正しくない可能性もある。
もしかしたら、
「自分の正しさを信じ切るな」という意味なのかな?
主の目から見れば、
私が「正しい」と思っていることが、
そうではないこともある。
そんなふうに考えていました。
もちろん、それもあると思います。
でも最近、この御言葉には、ちょっと違う意味もあるのかもしれない……
と思うようになりました。
私はPTAの活動をしています。
ある時、リーダーであるAさんとBさんが揉めました。
Aさんから、
「Bさんから、質問や苦情などが30個くらい書かれた文章が送られてきた。どうしたらいい?」
と相談されました。
すると今度はBさんから、
「Aさんとのやり取りを読んでほしい」
と、LINEの記録が大量に送られてきました。
間に挟まれた私(笑)
そして、2人から迫られるのです。
「ジャッジしてほしい!」
主よ……もう面倒……(笑)
私は「どうしたらいいですか?」と祈りながら、
2人と話をしました。
2人とも、どちらが正しくて、どちらが間違っているのかを
はっきりさせたいと言うのです。
私は「ジャッジなんで、そんなことをしたくないし、
するべきでもない」と言いました。
もちろん、裁判になるような問題なら別…。
でも、ここはPTA。
私たちの目的は、
子どもたちが充実した、楽しい学校生活を送れるように応援すること。
そして、楽しいPTAにしていくこと。
では、ここでジャッジしたら、最後に何が残るんだろう?
勝者と敗者。
そして、仲たがい。
もしかしたら、内部分裂。
それでは、私たちが目指しているものとは
あまりにもかけ離れてしまいます。
今回の件について分かる事は、
どちらか一方が100%正しくて、
もう一方が100%間違っている、
ということは、あり得ないと伝えました。
そして2人には、しばらく違う仕事をしてもらい、
少し距離を取ってもらい、
何かを共有しないといけない時は、私が間に入る事になりました💦
人間的な私の目から見ると、
実はこの2人、ある意味似ているのです。
どちらも自分の「正しさ」を強く主張する。
そして、自分の正しさを信じている。
2人に迫られたあと、
「これで良かったのかな……」
と考えながら、私はイエスさまのことを思い出しました。
イエスさまは、真理を語られました。
でも、人を論破して人生を歩まれたわけではない…!
姦淫の女の出来事でも、
「この人は罪人だ」「いや、罪人ではない」
と、裁判を始めたわけではない。
イエスさまは、
「あなたがたの中で罪のない者が、最初に石を投げなさい」
と言われた。
そして、人々の目を
「相手が正しいか、間違っているか」から、
自分自身の心へと向けさせられた!
「正しさ」そのものが悪いのではない。
でも、
正しさだけが前に出てしまう状態は、
決して良いものではないのかもしれない。
そんなことを考えました。
人々がイエスさまのもとに集まったのは、
イエスさまが「正しい人」だったからだけではない。
イエスさまには、
真理とともに愛があったからだと思います。
正しいことを言う。
それは大切。
でも、正しさだけでは、人の心は動かない。
正しさだけを追い求めていくと、
いつの間にか人を遠ざけてしまうこともある…。
そして何より、
私たち人間が「自分は正しい」と言い切ること自体、
本当はとても難しいこと。
「正しすぎてはならない。」
「知恵がありすぎてはならない。」
「なぜあなたは、自分を滅ぼそうとするのか。」
この御言葉には、
私がまだ気づいていない、
もっと深い意味があるように思います。
今の私には… まだまだ分からない💦
でも、
「自分は正しい」と思った時ほど、
少し立ち止まってみる。
そして、
「主よ、私は本当に正しいのでしょうか」
「この正しさの中に、愛はあるでしょうか」
と、問いながら歩いて行きたいな…
そんなことを、
今回の出来事を通して考えさせられました。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)
