御心だと思ったのに…【箴言19:21】

2024年

人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。

箴言19:21

夫かネットで読んだ話を教えてくれました。

韓国にも、日本の大学入学共通テスト(センター試験)のような試験があります。

「大学修学能力試験(スヌン)」です。

ある詩人の詩が、この試験に国語の試験問題として、

何度か採用されたそうです。

そしてある時、この詩人が実際に自分の詩を用いた試験を解いてみたそうです。

「この作者の意図はなにか?」と言う選択問題。

詩人が選択した答えは、正解ではなかったそうです。

詩人が思いを込めて書いた詩に対して、

詩人が選んだ「作者の意図」が「✕」となったのです。

この詩の意図は、どちらが正解なのでしょうか。

問題を提出した人の答えが正解なのか。

それとも、作者の思い…こちら正解なのでしょうか。

もちろん、作者の思いが正解です。

私にもこのような経験があります。

これが主の御心だ‼ と思ったのに、違った時があります。

多くの人が経験あるかもしれません。

違ったと分かった時…ショックです。

主が分からなくなってしまったりもします。

「どうしてだろう? 絶対に御心だと思ったのに…」と

主に対する疑いが心を過ぎるのです。

「絶対そうだと思ったのに、これが違うってどういう事?」と言う思いから始まり、

「主は、本当にいらっしゃるんだろうか?」という

疑問までが、私の心を支配しようとしてきます。

どうしてこのような事が起きたのか??

なかなか、自分の事というのは分かりにくいものです。

この詩人の例をとって考えて見たら…

詩人が意味を持って書かれた詩を、

他の人が読んで違った解釈をする…

どうしてこのような誤解・ミスが起こるのか…?と考えてみると、

理由を、2つ考えられると思います。

一つ目は、読む前から読者の心には何かがあったのです。

今自分を取り巻く問題や、思考、課題、興味、関心…

いつも何となく心に存在し、何度となく考え続けている事柄。

それをベースに何かを読むと、受け取り方が変わると思います。

人は自分に照らし合わせて読むからです。

自分の中にある元ある思考に左右され、

知らずと影響された受け取り方をしてしまうのです。

2つ目は、読者が作者について知らないという点です。

作者の作品を以前からよく読んでいて、

作者の背景や思考など、

理解や共感できる状態であれば、

誤解やミスが生じないのではないか?と思います。

…このことから考えられるのは、

私たちの「御心だと思ったのに!」という思いも同じだと思います。

御心を求め祈り、主の答えを待つ中、

自分の心の中に答えを持っている可能性があります。

こっちの方がいいな…

祈り待つ中、色々な事を考えるのです。

主の答えがAなら… こんな展開がまってる

反対に、Bだったら… こんな感じで道が開けるのではないか?

だったら、Bの方が良くないか?

主は最終的にこの道を与えようとされているのではないか?と

想像が膨らむのです。

そして自分の中で、多分Bだろう…Bの方が良さそう…

という、Bだと決定する為の下準備を整えてしまうのです。

また、私たちが主がどういったお方なのか、

知らなすぎるという問題点です。

日曜日の教会に聖書を開くけれど…

日頃のデボーションまでは時間がない…。

しかしよく考えて下さい。

私たちは日々、忙しい日常を過ごしています。

しかし、配偶者や子どもと「忙しい」と言う理由で

会話をおろそかにすれば、

直ぐに溝が生じます。

日々、顔を合わせて同じ家に住んでいても…です。

主は、関係を重視されるお方。

「忙しいのなら、尚更、私のもとに来なさい!」という考えをお持ちの方。

私たちは、主の考え、思い、基準、常識…などから

離れてしまい、私たち独自の基準を持ってしまっているのです。

…「御心だと思ったのに…」と感じた時、

何とも言えない思いになります。

何となく心の中で何かが崩れてしまうのです。

それを避ける為にも、

祈る時には、自分の思いや願いを一旦、手放す!

心を空にして主の答えを待つ。

そして日頃から主とのコミュニケーションを大切にする。

今日も、主との交わりの時間を大切にしようと思います。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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