イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
マタイ19:26
私は今日、改めて、
私たちの神って凄いな…と思いました。
多くの宗教は、人生を山登りに例えるように、
善を行い、善行を積み、山を登ぼるように神にたどり着こうとします。
神が望まれる水準に登ろうと努力するのです。
しかし、私たちの神は、私たちに「努力をして登って来い」とは言われませんでした。
罪の中にいる私たちを、どうにかして救おうと…
この世界の創造主は、一人子イエスキリストを送られました。
人間の姿を取って、天から地に降りて来られたのです。
私たちの目線に立って救いを導いてくれる方を送られたのです。
そして、誰でもキリストを自分の主だと信じる者に救いを与えられたのです。
しかし…
私たち人間は、そのようなイエスさまをどの様に迎えたのでしょうか。
神の子だと、崇めたのでしょうか。
私たち人間は、神の子に罵声を浴びせ、
殴り…蹴り、唾をかけたのです。
そして罠にかけ、いばらの冠を被せたのです。
私たち人間は、神の一人子を殺したのです。
しかも、十字架刑という一番酷い方法を用いたのです。
人間が行ってしまう失敗の中で、
これ以上の失敗はないのではないでしょうか。
人類最大の失敗であり、人類最大の罪だと思います。
しかし、天の父はどの様にされたのでしょうか。
人間が犯してしまった「人類最大の罪」を用いられたのです。
3日目に蘇らせたのです。
そして、私たちも主を信じる者は、罪赦され、
死んでも生きると道を開かれたのです。
これ以上ない最悪な事態を用いられ、
私たちへと救いの道を開かれたのです。
主は、私たちの最悪をも用いられ、
最高の道へと変えられる方なのです。
私たちの人生…
色々な事が起こります。
「最悪!」と思わず言ってしまう事も何度も起きます。
人から傷つけられる事もあります。
信じていた人に裏切られる事もあり、
信じていた人に利用される事もあります。
反対に、自分を信じていてくれている人を
裏切ってしまう事があるかもしれません。
ずっと友達だと思っていた人を、
傷付けてしまう事があるかもしれません。
私たちの人生には…
もう立ち直れないかもしれない…という
最悪な出来事が何度も起こるのです。
また、罪に罪を重ねて生きて行ってしまっているのです。
しかしそれらは、
私たちがイエスさまに犯した最大の罪に比べれば…
どうでしょうか。
私たちが神の子を十字架に架けたこと以上の
「最悪な出来事」「最大の罪」はないのです。
主は「最悪な出来事」を
「最高の出来事」に変えられる方なのです。
だとすれば、私の人生なんて…
自分の目に「最悪」と思える出来事の中にいたとしても…
主にとっては、何とでもなるのです。
人生が辛く感じる時…
十字架を思い出そう。
最悪でさえ、最高へと変えられる主。
私たちが信じる主に不可能はないのです…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)