「悔い改め」とは何か【創世記44:33】

2024年

ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。

創世記44:33

ヤコブの息子は12名います。

それがやがて12部族となったのです。

ヤコブには妻が4名いました。

レア、ジルパ(レアの女奴隷)、ラケル、ビルハ(ラケルの女奴隷)

レアとラケルは姉妹です。

ヤコブはラケルとの結婚を望みましたが、この姉妹の父親ラバンがヤコブを騙し、姉と結婚させました。

レアは、➀ルベン ②シメオン ③レビ ④ユダ ⑨イッサカ ⑩ゼブルン

ジルパ(レアの女奴隷)は、⑦ガド ⑧アシェル

ラケルは、⑪ヨセフ ⑫ベニヤン

ビルハ(ラケルの女奴隷)は、⑤ダン ⑥ナフタリ を生みました。

ヨセフが好きな私は、イエスさまはどうしてヨセフの部族から生まれなかったのだろう…と信仰を持った時、思っていました。

イエスさまは4男である「ユダ」の家系からお生まれになりました。

ユダは、ヨセフをエジプトに売ろうと言い出した兄です。

また、ベニヤミンを連れてエジプトに食糧を買いに行く事を

父ヤコブに願い、説得したのもユダです。

ユダはこの時、自分が責任を持ってベニヤミンを連れて帰って来ると約束しました。

そして、ベニヤミンの袋からヨセフの杯が見つかった時、

ヨセフはベニヤミンに奴隷になるように言いました。

ユダは、命をかけてヨセフに近寄り懇願しました。

昨日のブログで、「後悔」と「悔い改め」は違うと書きました。

「悔い改め」とは何でしょうか。

悔い改めとは、立ち止まり、方向転換し、主のもとに帰り、自分の罪を告白し許しを得るという事だと思います。

「後悔」とは、立ち止まり、‟こんなことしなければ良かった…” で終わってしまうのです。

後悔は、方向転換し、主のもとには帰らないのです。

ユダたちはこの時、ベニヤミンを置いて。自分達だけで家に帰る事が可能でした。

昔、ヨセフを売ったように、ベニヤミンを自分達から切り離す事が出来たのです。

しかしユダは、ベニヤミンに代わって自分が奴隷となり、

ベニヤミンを他の兄弟と共に去らせて欲しい…と、他の兄弟の誰よりも懸命にとりなしたのです。

自分が罪を背負う。だからベニヤミンを赦して欲しい…と。

ユダが言った言葉は、イエスさまが十字架に架かった時の言葉を思い出させます。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

自分が犠牲になっても、ベニヤミンを助けて欲しい…という願い。

ユダは、ヨセフにとりなしをする時、「私たちは無実です!!」と訴えませんでした。

実際、この兄弟は誰も盗みをしていません。

理解不可能な状況に陥っているのです。

無実でありながら、有罪判決が出されているのです。

しかしユダは、自分たちの罪の有無に重点を置かず、

自分の正しさ、義を主張しなかったのです。

自分は罪人だと認め、自分が身代わりになるという事に重点を置いて願ったのです。

他の兄弟より深く悔い改める事が出来たから、正しくとりなす事が出来たのではないかと思います。

主は、犯した罪の大きさではなく、どれぐらい悔い改めたのかを見られるんだと思います。

…主は、ユダの悔い改めを見られ、

イスラエル12部族の中で、このユダの家系から生まれる事を主は選ばれたのではないでしょうか。

…同じ「ユダ」でも、イスカリオテのユダは違います。

イスカリオテのユダは、イエスさまを銀貨30枚で売りました。

「イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔した」と聖書に記録されています。(マタイ27:3)

イスカリオテのユダは、「後悔」しか、しなかったのです。

方向転換し、主のもとに行かず…自殺をしたのです。

「後悔」と「悔い改め」には、大きな差があるのです。

後悔は、もしまた苦境に立たされた時、同じ失敗をする可能性があります。

ユダは、してもいない罪に対して自分が身代わりになると願えたのです。

後悔だけでなく、深く悔い改める事が出来ていたから、このような苦境を前にしても前と同じ道を歩む事がなかったのではないでしょうか。

自分の中に、後悔で終わっている事はないだろうか。

悔い改めが必要な事柄はないだろうか、振り返って見たいと思います。

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