そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
マタイ24:30
先日、小学校の同級生の家の前を通った時、
偶然、その家から友達が出てきました。
「ビックリ~」と言いつつ、
家の前でずっと話をしました。
そして彼女が「家入る?」と聞くのです。
「いいの?」聞くと
「あーーでも~散らかってるのよね~(笑)」と言うのです。
私「私は散らかってても良いけど、嫌だったらいいよ、ここで(玄関前)」
友達「んーまあ、いいか!入って!」と言われ
家に上がりました。
そして彼女は「片づけてたら良かった(笑)」と言いながら、
片づけを始めました。
私「もう全部見たからいいよ~(笑)」と言っても
「あーやっぱり日頃から片づけはしないとダメだよね~」と片付け続けたのです。
そして、最近の近況を話合って、友達の家をでました。
帰り道、ちょっと恥ずかしそうに、
片づけを辞めない友達の姿が記憶に残っていました。
そうなんですよね!
私たち、誰かが家に来るとなると、まずする事は「家の片づけ」です。
散らかしている物を整頓したり、処分したり…するのです。
どうしてかと言えば、余計なものだから。
洗濯物を取り入れソファーに置いてあれば、
そこは、元々洋服を置く場所ではないので、
ソファーにある洗濯物は余計なものなのです。
元の定位置に戻すのです。
そして不必要なものは処分するべきなのです。
…私の心も同じだと思います。
私の心は散らかっていないだろうか。
第一とするべきものを、
第一の定位置に置けているだろうか。
不必要なものをいつまでも欲しがったり、
羨ましがったりしていないだろうか。
価値がないと分かっていながらも、
手放す事が出来ないものはないだろうか。
私が友達の家の玄関で偶然、出くわした様に、
主も突然来られる…
その時に、私の心はどうだろう。
散らかっているかもしれない。
今、来られたら…
後悔すると思う💦
イエスさまが来られると分かっていたら、
もっと聖書を読み、礼拝を心から喜びとし、
賛美に満たされた生活を通して、
もっと心のコンディションを整えられただろうに…
こんな不満一杯の心の状態の時に、
信仰がパッとしない時に来られるなんて。
もしかしたら、再臨されたイエスさまをみて
「この方が本当の神だったのか!」と気付き…
「あー教会に通っておけば良かった」
「あの時、友達に誘われたのに」
「駅前でトラクト貰った事があったのに」
と、後悔するかもしれません。
今日の聖書の箇所を見ると
地上のあらゆる種族は「悲しみながら」人の子を見ると書いてあります。
悲しみながら見るのです…
とうとう主が来て下さった!!!と言う喜びの思いではなく、
多分「あ…あの方が本当の神だったのか…
私は偽物の神に頼り生きて来た…」と
悲しむのでしょうか。
もしくは「イエスさまが本物だと思ってたけど…
教会に通うのは、もっと後で良いと思っていたのに」と
後悔し、悲しむのでしょうか。
主が再臨された時、喜び一杯で迎えれるように準備をしたい。
感謝一杯の思いで主に会いたい…
いつ来られても喜べるように、
今から準備をしよう‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)